問題はアルコールじゃない
こんにちは。noutiです。
アルコール依存性の家族を持つと、心も身体もかなりボロボロになります。
何もしなければ。
何もしないで、ただその状況を真面目に受け止めていると、リアルに心も身体もこれでもかってほどに疲労します。
何もしないとは、相手への変化ばかりを過剰に求めることであり、自分の変化の要求をおろそかにすることです。
アルコール依存性の人と接していると、アルコールによって、「おかしくなる」から、アルコールが憎むべき対象に見えて、見えて仕方なくなっちゃいます。
飲んだ後が見つかれば、ため息。
飲んでるなと思えば、ため息。
飲みそうだなと思えば、ため息。
もう、基準が全部アルコールなんです。
何に喜び、何に怒るかも、全部アルコールになっちゃってるんです。
これ、完全にアルコールに支配されています。
アルコールが、自分より、遥かに強い権力持ってしまってます。
私はこの流れの時、アルコールを飲んだグラスを思いっきり投げつけて、右手大量出血しました。
去年の今頃です。
まあ、そんなことで済んで良かったというくらい、めちゃくちゃ支配されてました。
アルコールに支配されちゃうと、「アルコールさえ、なければ‼︎」って想いがめちゃくちゃ強くなって、アルコールに対する憎悪が半端なくなってきます。
アルコールこそ諸悪の根源みたいに。
アルコールさえなければ、こんな苦しいこのないのに…って、どんどん、どんどん、怒りと憎しみの矛先がアルコールに向いて来るんです。
これ、要注意。
なぜなら、こうなった時、アルコールからの支配を益々加速させることになります。
私たちがアルコールさえなければ、と心底思う時、それって結局、アルコールが全てを支配しているって、認めちゃっていることなんです。
ヒトラーさえいなければ、と思う時、人は間違いなくヒトラーが独裁者であり、諸悪の根源って思っているのと同じように。
だから、アルコールさえなければ…この発想に陥った時、一旦ストップして、冷静さを取り戻さないと、最悪な事態になりかねません。
アルコールじゃないんです。
問題は、アルコールに見えて、本当はアルコールじゃないんです。
認めたくないけど、アルコールじゃない。
じゃあ、何?ってなった時、
結局、アルコール依存性になってしまう本人の性格なんです。
プラス、それとうまく付き合えない自分自身なんです。
アルコール依存性が治ったって、結局、別のところで、また問題が発生します。
今度は、アルコール依存症でないその本人とうまく付き合っていくためにも、自分自身もたくさんのことを学んでいく必要があるんです。
どの人間関係も、みんなどこかで問題を抱えています。
それを、アルコールだけが問題!みたいにしちゃうと、
自分の問題は棚に上げてしまっているから、ますます生き辛く、苦しくなってきます。
ますます、被害者意識が強まります。
みんな、どこかに問題があるんです。
アルコールだけしか問題に見えないという事実も、十分、理性を失い、おかしくなっちゃっている状態です。
問題はアルコールじゃない。そんな簡単な話じゃない。
問題は、当の本人にあって、そして周りの家族1人ひとりにあります。
これに気づいてから、私は、泣いたり、わめいたりするのをやめて、自分を変えることに集中できるようになりました。
そのおかげで、心の平安が保て、結果的に私のそうした状態が、アルコール依存症の回復のサポートの助けにもなってくれているようです。
(結果的に・・・であって、アルコール依存症の問題があるから、私が変わるんじゃなくて、私にも問題があるから、私が変わるです。そうじゃないと、どこかで自己欺瞞、犠牲的なものばっかり目について、持続不可能になってきます。)
大丈夫。みんな不完全な人間だから。