負けを認め続ける
こんにちは。noutiです。
猛暑ですね。外に出るだけで、むわっとした空気を肌に感じます。でも、私は実は冬よりは、夏の方がまだ好きです。
冬の寒さだけは耐えられません。だから、真夏で、暑い時も、冬の凍えるような寒さの中で、手足がしもやけになって、感覚がなくなって、芯から身体が冷え切るような思いをした気持ちを思い出すと、なんだか、暑さなんかどうでもよくなるどころか、むしろ余裕になってきます。
無駄のオンパレード
アルコール依存症の生活習慣を、「まとも」にみると、そこは無駄だらけです。基本私は、見ると、嫌な気持ちになり、怒りそうになるので、そもそも飲んだお酒の量とか、使ったお金とか、一切見ないようにしています。
燃えるゴミと、プラスチックのゴミは私が出しますが、ボトル関係は必ず夫にやってもらっています。もうこれだけは徹底していて、私が、ボトル関係を捨てることはまずないです。
もし捨て忘れたら、そのまま放置です。飲んだものが転がっていても放置です。
尻拭いを徹底的にしないと決めてから、全部放置です。でも以前は、見るたびに怒り、捨てたり、叩きつけたりしていました。
今でも、見るとムカッとします。
不思議なことに、空のボトルを見てもあんまりムカッとしないのに、新品で、未開封のを見ると、心の冷静さを保つのに必死です。
正直、過去のことに対する執着は、もういいんです。空だと「とりあえずお酒はないんだ」ってわかります。でも、未開封だと、「これ、今から起きることなんだ」ってわかるから、なかなか耐えがたいんです。私にとって、新品を見たときの動揺を抑えることは未だに戦いです。
基本的に、アルコール依存症者は、買ったら最後。手にしたら最後です。
意志のコントロールを失う病気なので、買ったのに飲まない、手にしたのに飲まないことはほぼありえないです。
だから、家族側は「買ってあるようだけど、飲まないでほしい」的な一切捨てたほうがいいです。買ったら、飲みます。手にしたら、飲みます。そこでいきなりコントロールできるなら、買う前に、手にする前にできているはずです。
家族は、家に買って帰ったときに、初めてお酒を目にするから、そこで初めてイライラしたり、ため息をついたり、がっかりしているけれど、もうそんな段階は、とっくに手遅れの段階なんです。
どうしても、見たら反応してしまうのが私だったけれど、そんな私の感情の揺れを、アルコールたちは大笑いしていただろうなと思います。
アルコール依存症者が、買いに行き、手に入れているということは、脳に猛烈な強迫感情を与えられているので、そこに本人が負けてる時点で、一度ゲームオーバーです。
これは、もう負けだから、負けを認めるしかない。
それなのに、一度話あったらどうとか、一旦寝ればどうとか、楽しいことをすればどうとか、全部通用しません。
試合で、ゴールに点を入れた後に、審判に向かって、ああだこうだ言って、負けを認めたくないから、惨めに言い争っている選手と同じです。
アルコールを手にした瞬間、もう私たちのコントロールできる余地はないです。
絶対にないです。
私は、これをどうしても認められず、認めたくなくて、何度も何度も、バカみたいにバトルを繰り返したり、自己憐憫に陥ったり、逃げ場がなくて、家を出たり、グラスを叩きつけたり、泣きわめいたりしていました。
もう、点数が入って、試合が終わっていて、観客もみんな帰ったのに、審判に未だに文句だけを言い続けているようなものです。
それは愚かな行為だったんです。
数ある負けを認め続ける
この病気とまともに関わるには、「負けを認め続ける」ことです。
「ふざけるな!」という気持ちが湧いてくるのを、一旦止めて、負けを認め続けます。
もちろん、アルコールに使っているお金は無駄です。他でどれだけ節約しても、湯水のように流れていきます。バカみたいです。それによって、もっと沢山充実したことに使えます。
もちろんです。でも、負けを認めます。
もちろん、時間も無駄です。アルコールによって脳を麻痺させている間は、まともな思考をできないので、バカみたいにテレビを見たり、バカみたいなことしか言えません。その時間を使って、勉強をしたり、もっと有意義に使えます。また、家族もそれによって振り回され尊い時間を奪います。
もちろんです。でも、負けを認めます。
そして、もちろんです。不健康です。アルコールによって、肝臓を痛めつけています。寿命を縮めています。いいことなしです。酒を飲む許容範囲とっくに超えていますから。
もちろんです。でも、負けを認めます。
負けを認め続けること。
いつまで?
それは、本人が自分の試合は、実は全部嘘で、自分は既に負けていたということに気づくまでです。
本人が心から負けを認めるまで。
本人がアルコールに無力を認めるまで。
降参するまで。
そして、私たちは負けを認め続けることで、唯一、嘘の試合を相手にしないという勝利を得ています。