泣きそうな表情
こんにちは。noutiです。
今朝、起きたら、知り合いからお願い事が来ていました。別に彼女は自分でやろうと思えばやれるのに、私に頼んじゃえば、楽だから、依頼しているメールでした。過去にやってあげた経緯があるんです。
今回は、丁寧にシンプルに理由を添えて断りました。今まで何でも、はいはい引き受けていました。手伝ってあげられるものは、手伝っていました。でも、中途半端にか変わっても、実際に会えるわけでもなく、今後のトラブルの原因にもなることは、あまり関与しないことにしました。
それに、自分の人生に炎が上がっている状態なので、そもそもそんなに人の人生構ってられません。だから、断れた自分に満足しています。
アルコール依存症と日々過ごす生活は精神の筋肉が必要です。ただの図々しい人に、自分勝手な依頼をしてくる人に、いい人になって振り回されないようにしましょう。
私の夫はアルコールを買ってくると、隠します。というのも、本人が猛烈にアルコールを飲まざるをえない状況を恥と思っている理由はあるけれど、それより何より、過去私との凄まじいバトルを経て、私の目にアルコールを触れさせることがどれほど危険か(色々な意味で)がよく分かっているからです。
ちなみに隠すといっても、たかが知れています。同じ家に住んでいて、バカでもあるまいし、わからないわけがありません。大体、すぐにでも飲むものは、どこか目につかない奥に奥にしまいこむこともできないわけで、そんなものはすぐに居場所はわかります。だから隠されて、結局見つけちゃう方が虚しいので、むしろ堂々としてくれた方がいいくらいです。
ある日、靴箱の一番上の段に買ってきたお酒を隠そうとする夫を見て、いいました。
「そこは、食料庫じゃないから。靴箱だから。」と。
一番上の靴箱なんて、滅多に開きません。でも、そこに背の届く夫にとっては、確かにちょうどいい場所です。私がそうやっていた後の夫の顔の表情の哀れなこと。哀れなこと。
もう大の大人が、今でも泣きそうにしているんです。(そこは食料庫じゃない・・・。そんなの分かってる、ここは靴箱だ。)
自分が入れているものと入れている先を見たら、情けなくなるのは容易に想像がつきます。
どう考えても、入れるべきものでないものを入れるべきで無いところに入れています。砂場の上におにぎりを置くような感覚です。
靴は外のために使います。砂がつきます。汚いものです。それと食べ物、飲み物が一緒の空間にある事実は、まともに考えれば、惨めです。
こんな今にも泣きそうな表情を見たあとは、私はもう何も言いませんでした。夫は十分すぎるほど分かっています。自分がしている行為も、それをやめられないことも。
心の中で、大泣きしているんです。
心の中だけで抑えきれない時は、目に涙が溢れて、大泣きします。
惨めです。哀れです。見るに耐えられません。
これがアルコール依存症の病気の恐ろしさです。
本人が全くしたくも無いことを、意志のコントロールを奪って仕向け、これでもかと地獄へ突き進ませます。
私はアルコール依存症と向き合う時、着ぐるみをかぶった人間とよく思うようにしています。アルコールによって、本来の人格が隠され、消され、どこか見えなくなってしまっているんです。
アルコールという悪魔がその人を完全に乗っ取り、思いのままに操ります。アルコール依存症の症状が出ている時と付き合う時は、まさにこうして乗っ取られた後の状態を見ているわけです。
だから、そこには今までと全然違う人格が存在します。
家族側はそこをすぐに混同してしまうから、傷つき、辛く、苦しく、絶望になります。
でも、本当は、隠されてしまっているだけなんです。アルコールによって、脳を心を魂を支配され、その人を乗っ取って、操られています。
アルコール依存症は病気です。本人がたとえどのように見えても、猛烈に苦しんでいて、炎の中を歩く、過酷な戦いなのです。