アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

映画:ペイフォワード・可能の王国に映ったアルコール依存症

こんにちは。noutiです。

 

暑い日々ですね。外はサウナみたいです。自然の熱は怖いので体調管理して、十分に気をつけてくださいね。

 

猛暑の中、西日本豪雨で被災された方は、本当に過酷な日々を送られています。私は、倉敷市にいる知人と未だ連絡がとれていないので、とても他人事とは思えません。その方とは、今年の6月頭に初めて出会いました。

 

1ヶ月先のことすら、何も予測できず、何もわからないのだと改めて思わされます。人は色々と計画を立てるけれど、所詮は心に抱いた計画なだけで、来月のことも、この夏の終わりのことも、どうなるのか、本当のことは何もわかっていないことが唯一真実なのだと感じます。

 

謙虚になって、ただ今生かされていることに感謝し、明日を思い悩まず、与えられた今日を悔いなく生きていきたいと思います。

映画:ペイフォワード・可能の王国を見て

先日、U-nextで、映画:ペイ・フォワード 可能の王国(原題:Pay It Forward)を見ました。

 

この映画は11歳の男の子が主人公で、世界をよりよくするために何ができるかということを考え、自分が受けた善意や思いやりを、他の3人に渡していくことを思いつきます。

 

実際に、映画としては、1人の人からのたった3人の善意の広がりが、ものすごい広がりを持ち、苦難に溢れる世の中において、希望を見せてくれる素晴らしい作品だと思います。

 

が・・・・。

 

私としては、この映画は、アルコール依存症の家族とアルコール依存症の苦しみという視点において、とっても重い映画であり、心揺さぶられる映画でした。

 

全然ポイントがずれているので、口が裂けても、この映画をアルコール依存症の映画とは言えないけれど、アルコール依存症の家族の人にはぜひ見てもらいたいなと素直に思います。

 

この主人公の母親はアルコール依存症です。だから、アルコール依存症らしい行動が息子との関わりにおいて至るところに出てきます。

 

多分、アルコール依存症じゃない人が見たら、ただのキチガイかヒステリック的な異常行動にしか見えない場面でも、私にとっては、痛いほど共感ができるものです。

 

完全に酒浸りになっている時の、母親役の表情一つ、見逃せませんでした。

 

この映画をもしこれから見る予定の方には、ネタバレにもなってしまうのですが、映画の中で、母親が隠れてお酒を飲むことを息子に指摘され、呆れられて、口論になっている最中に、母親は、おもいっきり11歳の男の子を平手打ちします。

 

その時の母親の「やってしまった・・・!」という後悔の表情とその後の行動がアルコール依存症者の特徴をよく表していました。

この上ない自己嫌悪こそが病気

アルコール依存症者は、かなりの「自己嫌悪」に陥っています。平たく言えば、自分のことが大嫌いです。家族にいちいち指摘されるまでもなく、十分すぎるほど、「自分なんてクソだ!」と思っています。(汚い表現でごめんなさい。でもこの記事では以後も使います。)

 

その痛みと苦痛は耐えがたいものがあり、アルコールという手段で、脳を麻痺させないと、生きていけないほどの強迫観念と日々直面しています。

 

だから、アルコール依存症者の言動がどうであれ、(仮に、俺は王様だ!俺はすごいんだ的な言葉を大きな声で発していようが・・・)本当は、心の中ではビクビク怯え、いつ、自分がこの世から消えるのか、こんなクソみたいな自分がこれからどう生きられるのか・・・恐怖と、恐れと、不安と、孤独の中にどっぷり浸かっているんです。

全然そういう風に見えないのは、アルコールによって侵されてしまっているだけです。アルコール依存症者はアルコールなしには、日々、想像を絶する惨めさと屈辱を味わうことになります。

 

アルコール依存症者が家族側から叱責を受けると、「やっぱり俺は、私はクソだ!」と思うのをさらに明らかにするので、当然、お酒の量が増えるし、また、そういう口論の中で、家族を傷つけてしまったり、家財をぶち壊したり、家族に対して、とりかえしのつかないことをしたりすると、これも、十分、自分への嫌悪を露骨にさせる要因になります。

 

先の映画では、母親が11歳の息子を思いっきり叩くという、母親としてあるまじき行動と、自分の衝動を抑えきれなかった自分に対する嫌悪感が、一瞬で母親を恐怖と不安に陥れ(ちなみに、この映画、その時の母親の表情もすごくしっかり出ています。)、猛烈な苦しみの中で、アルコールを家中探し回ります。

 

アルコール依存症のパターンをものすごくわかりやすく描いている場面と思いました。

回復を心から信じる努力

息子はそんな母親を見限って、家出してしまうのですが、母親が探し回って、息子を見つけた時の母親との会話は、私にとって大きな教訓でした。

 

今にもバスに乗ろうとする息子を前に、母親はこう言います。

「あなたをぶったことは死ぬまで後悔すると思う。お酒は飲まなかった。飲みたかったけど。信じてくれないわね。約束なんか聞き飽きたでしょ?だから正直に言うわ。本当は苦しいの。お酒がやめられなくて。でもやめないと。あなたがそばにいてー"大丈夫 ママはできる”と信じてくれるならー多分やめられる。だからお願い。ママを助けてほしいの」

(映画の字幕より引用しています。太字は私が太くしました。)

この後母親と息子は和解します。

 

この精神、本当に、家族には大切なことです。人の回復を、人の成長を心から信じること・・・。

 

アルコール依存症が理不尽の病と言われるのは、あまりにも期待を裏切られ、あまりにも騙され、あまりにも約束を破られ、あまりにも嘘をつかれる病気であるからです。

 

お酒はすぐにやめられません。スリップ(編注:再び酒に手を出す=再飲酒)します。約束は約束にはなりません。何度も何度もです。

 

でも、これも含めて、全部含めて、病気なんです。ここまで酷い病気です。ここまで心も意志もボロボロにする病気です。

 

それでも、家族を信じる。本人がどれだけ悪事を繰り返していても、本人が、本当は心のそこからやめたいと思っているのなら、周りは信じてあげる。

 

なぜなら、信じてあげることは力になるからです。

そんなことはみんなどこかでわかっています。「お前なんか、無理だよ、ダメだよ」って言われ続けたら、やる気をなくして、できるものもなかなかできない逆上がりも、親も兄弟も友達も、みんなが絶対に逆上がりできるようになるって、いつもいつも言われていたら、その子はきっと挑戦し続けるはずです。

 

そして、たとえ時間がかかっても、否定し続けられるよりかは早いはずです。

 

私は本当に、この信じることが全くと言っていいほどできない時期があり、その時は猛烈に苦しみました。絶望というのは、言葉通り希望がないことです。でも、人はどこかで本当は信じたいんです。信じたいけれど、すべてシャットダウンして、自分を暗闇に放り込むから、さらに自分で自分を傷つけ苦しむことになります。

 

私の夫は心の底から治りたいと思っています。でも何度もスリップです。

 

今も、もがき、苦しんでいます。でも、家族側にできることは、心の底から回復を信じてあげることです。

理不尽ですが・・・です。

 

そして、もし信じることができないのなら、それは家族側がもう、精神的に完全に参ってしまっているので、まずは自分たちが回復することです。信じてあげたいことを信じられない方が不自然です。これも、もう病気なんです。

 

相手が心の底から欲しているものを、表面的な結果だけで、できる、できないを判断するのでなく、一緒になって、心の底から信じてあげること。

 

罵声を浴びせられながらも信じるという想像を絶する過酷な病との戦いでありながらも、信じることで、少しでも希望の光を入れ続ける選択するのなら、完全な真っ暗闇に落ちることはもう二度とありません。

 

そして、気づかないうちに、実は、家族側の精神も徐々に回復し、それが、アルコール依存症者にとっての回復のスタートを妨げないことにもつながっているのです。

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