アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

罵声を浴びせられたら絶対に反論しない

こんにちは。noutiです。

 

アルコール依存症者と関わっていると、自分のことで、これをやろうと計画したことも、「絡まれて」計画通りに進まないことがあります。

 

そんな時、自分に言い訳をしたくなりますが、この時出てくる言い訳って、結局、アルコール依存症者を責めるような言葉だったりするんです。

 

アルコール依存症者によって、私は・・・」的発想は、アルコール依存症によって影響を受けていることを再認識して責めたくなる気持ちをもたらすもので、この病気から回復しようとすることと全く逆の動きになります。

 

思考は思いついた時くらいに止めておかないと、どんどん歯止めがかからず、延々と悩み苦しむことになるので、他のどんな言い訳はさておき、アルコール依存症者を言い訳にしているのは、本当に要注意です。

アルコール依存症者に暴言を浴びせられたら

アルコール依存症者の言動の一つに、暴言があります。暴言が、暴力や破壊行為と伴う時もあり、全部組み合わされると、もう見ているのが恐ろしくなるほど、破壊的な人間に変わります。

 

私も何度も経験しました。

 

アルコール依存症者は、四六時中、自責の念を抱いています。酔っ払いが、色々な悪さをしている時、周りの人は、本人は覚えていないとか、全く理解していない中で暴れていると思いがちですが、もちろん記憶がないことはあっても、アルコール依存症者が自分がやってしまったすべてのことを「忘れている」という理解は間違っています。

 

そういう意味では、その時やってしまった具体的な内容すらは覚えていなくても、自分が破壊してしまったこと、人を傷つけたこと、暴れたことは、私たち家族側以上に、本人も十分に分かっています。

 

家族側は「酔って、何もかも忘れ、キチガイ状態になっている」的な考えから、実は、彼・彼女自身の罪の奥深さは、私たちが目に見えて理解しているのと同じくらいに、もしくはそれ以上に、「ちゃんと理解している・知っている」と知った方が良いです。

 

そして、そんな中でも、変われない自分、アルコールによって問題を引き起こし続けている自分に、最大の自己嫌悪と、自責の念を常に抱いています。

 

そして、その自責の念を抱く本人にとって、心の痛みはあまりに苦しいものであるからこそ、お酒を飲んで、現実から逃避しようとしているわけです。

 

だから、自責の念が強くなれば、なるほど、アルコールに手を出します。

 

このことをしっかり知った上で、アルコール依存症者の一つの特徴でもある、暴言や暴力などを見ると、家族側がどうしたらいいのかが段々と見えてきます。

 

暴言はキレられることを要求しているサイン

アルコール依存症者の中で働いているメカニズムを、個人的な感情を抜きに理解することは大切です。アルコール依存症者が、家族に対して、あまりにも酷い言動、「バカ、アホ、最低な女、最低な男、クソ、人間のクズ、バカすぎる、頭が悪すぎる・・・」などなど、このような言葉を発した時は、こう理解してください。

 

"アルコール依存症者は、全力で自分を責めてもらうことを望んでいる"です。

 

相手を最高レベルにまで不快感を与えること、相手を怒らせること、キレさせること、いじめること、心にグサグサと刺さるようなことを言うこと・・・このことによって、アルコール依存症者は家族側から、叱責、怒り、責めなどが受けやすくなります。

 

そうすると、思い描いた通りに、アルコール依存症者は、「やっぱり自分は最低な人間だ」となり、その痛みを紛らわすため、お酒を飲むことを正当化できるのです。

 

そして、そうやって責められたことにより、既に抱いている自責の念に加えて、更に家族側から圧力も加わって、お酒を飲むことを加速させられたから、今度は機会があれば、恨みがましく「お前のせいでこうなった、お前のせいで、もっと最悪になった」的なことを平気で言います。

 

家族側にしてみれば、どれだけアルコール依存症者によって生活が振り回されているかを考えると、理不尽極まりない発言ですが、アルコール依存症者にとっては、それはそれで、ちゃんと理がかなっており、実際に家族側によって、回復どころか、更に最悪に突き進むことはいくらでもあります。

 

だからこそ、このアルコール依存症者の心理やメカニズムを学び、知った上で、ちゃんと、対応を作っていくことは力になります。

その場の感情に流されていたら、人間だから、すぐに言い返したり、泣いて怯えたり、脅したり、不必要な暴力を相手にしてしまうことにもなるのです。

 

怖いほどの冷静さと無抵抗を始める

アルコール依存症者が酔って、暴言・暴力を振るってきた時から、勝負は始まります。アルコール依存症者は、「責めろ!俺を責めろ!」と言わんくらいに、家族の悪口をストレートに言いますから、それにのらないように、一言言ってやりたいその気持ちをグッと飲んで、冷静さを保ちます。

 

イメージとしては、狂ったサーカスでも見ている感じです。ある意味では白けます。心の中では、こんな病気になってしまったのを、哀れに思います。

明らさまにバカにしたり、不愉快な態度を表すことは、それこそ、アルコール依存症者の言動に反応してしまっているので、プラスにもマイナスにも傾かず、ドライな冷静さを極力保ちます。

 

ただ、実際の現場に遭遇するとこれは決して簡単なことじゃありません。暴言だけならともかく、モノを壊す、もしくは時に家族側自身に身体的に当たってくると、身体がぶつかったり、転んだり、信じられないほどの侮辱を受けながらも、冷静さを保つことが要求されるからです。

 

だから、凄まじい地獄の中で、無抵抗になる強さを要します。最初は何度も、「もう無理!」となってしまいます。

ただ、もし、本当にアルコール依存症者を回復に向かわせたいと心底思っているのなら、この冷静さと無抵抗の圧力は、彼自身の問題を、他の誰のせいでもなく、自分自身の問題と認識させ、アルコールによって、どうにもできなくなっている自分がいることに気づけるきっかけになります。

 

家族側も、最初は、抵抗しても無駄だと頭ではわかっていてもできず、言い返したり、反論したりしそうになることは普通です。

私は耐えきれず、泣きわめいたり、警察を呼ぶとか脅したり、いっぱい色々なことをしてきました。本当に恥ずかしいほど愚かなことを繰り返してきました。

その後、アルコール依存症者の本当の意図を知って、冷静さを保つことを心がけことが、少しずつ実践できるようになってきました。

 

アルコール依存症者との戦いは、確かに長期戦です。でも、必要以上に病気との格闘を長引かせないためにも、そして、アルコール依存症によって、大切な命を奪わないためにも、罵声を浴びせられたら、絶対に反論をせず、冷静さを保つ工夫を始めてみてください。何も起きていないように思えて、毎回アルコール依存症に負けているように見えて、確実に、反論するよりかは回復に役立っているからです。

 

痛いほど、それをし続けることは過酷であることはわかります。

 

それでも、アルコール依存症の病気は、常識と真逆のことが求められることが多々あり、まともに反応していると、更にアルコール依存症を深刻化させるという皮肉があるのです。

 

※とはいえ、本当に命に関わるような、他傷、自傷は、迷わずに警察、救急車です。

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