アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

愛のある無関心

こんにちは。noutiです。

8月も、もう後半に入りました。月日が経つのは本当に早いですね。

人生は、あっという間だなと思います。苦しい時、困難な時、試練の時、こんな人生どうとでもなれと投げやりになったり、人生に何も希望を見出せず、1日1日が長く辛く感じたりすることもありますが、時の流れがどう「感じる」かに関わらず、時間はいつも変わらず、同じスピードで、刻一刻と時間が刻まれています。

 

振り返ったら、あっと言う間の1年、そしてあっという間の人生になると思います。だからこそ、1日1日、今日だけを幸せに生きる努力を始める・・・そうしていれば、気づいたら人生の終わりになっていて、「ああ、色々あったけれど、本当に素晴らしいものだったな。よかったな。」と心から思えるようになっているはずです。

 

少なくとも、私はそう信じて、日々を生きることにしました。

本当の幸せ

アルコール依存症者と暮らす家族にとって、幸せとは「アルコール依存症者が、お酒をやめたこと」ではありません。

 

私は、このことを確信しています。むしろ、「お酒をやめたこと」に幸せを見出そうとしているのであれば、不幸せになります。

 

人間が感じる幸せなんて、そんな単純なものじゃないです。

普通に考えて、「他人」がどうなるかに「自分」の幸せを見出そうとするなんて、理性的ではありません。

 

「自分」の幸せは、自分の心の中で見出せるように、自分自身で作っていかなくちゃいけないもの。「他人」に自分の幸せを頼っている限り、いつまでも幸せは安定しません。たとえ、相手がお酒をやめても、「他人」である以上、その人はいつも変わり続けます。

 

他人は他人です。仮に、他人に幸せを感じてもらうように何かをしたとしても、実際に幸せと感じてもらえるか、もらえないかは「他人」次第であり、「自分」の思いとは別であるように、幸せと感じるか、幸せにするかはすべて、「本人次第」です。

 

他人も他人で、自分と同じように、好き勝手に幸せを自身で見出します。人間誰も、みんなが各々で見出しているんです。だから、自分の中で幸せを見出す努力をしない限り、いつまで経っても、安定した本物の幸せなんてやってきません。

 

シラフであること、酔っていること・・・これはアルコール依存症者の家族にとってとてつもない違いに見えますが、実際はわずかな一時的な環境の違いです。

 

そこに振り回されていては、いつまでも、安定も平安もきません。

 

なぜなら、そこに振り回されている=「一瞬の、一時的な快楽を求め続けていること」と同じだからです。

 

結局のところ、そういう意味では家族側も依存症者と同じで、アルコール依存症者がお酒を飲んでいない瞬間だけに幸せを求め、そこに一時的な平安を見出す依存症者なのです。

 

このことは、今、暗闇の中にいる人にとっては、受け入れ難いかもしれません。でも、暗闇の中にいるからこそ、「アルコール」さえなくなれば、光が見えるのに・・・と思い続けて、その結果、念願のアルコールがなくなったという事実が実現しても、実際に思ったほど解放されなかったという虚しさを味わってほしくありません。

 

「アルコールさえなくなれば・・・」の考えを持っている限り、間違いなく、相手がアルコールから脱出しても、また別の問題で虚しさを覚えることになります。

希望へ

アルコール依存症者と歩む日々の中でも「幸せ」は必ずあります。私たち人間は、その「幸せ」を自分の内側に見出せる力を持っています。最初は、自己満足のようで構いません。だいたい、自分が感じる幸せに対して、人から認められる必要があるのでしょうか?

 

人からどう思われようが、内の中に「幸せ」を見出せた人が真に幸せを手にします。私は確かに、周囲の人からみれば、大変な(残念な)状況の中で、結婚をしたかもしれないし、アルコール依存症の問題がない新婚生活では絶対になかったトラブルにたくさん巻き込まれたことは事実かもしれません。

 

でも、そこは、私が得られたことに比べたら、とるに足りないものです。私は、夫のアルコール依存症によって、いかなる状況の中でも「内なる幸せ」を見出す必要性に追い込まれました。言葉通り、追い込まれたんです。なぜなら、それを勝ち取ろうしなかったら、私が今この世にいたかもわかりません。

 

これほどのものがなかったら、きっと私は到達しえなかった、人間の奥深さに出会えました。そして、私は本当に人は「幸せ」を創り出すことができること、それは外側の環境でも、お金でも、人間関係でもなく、内側から創り出せることを知り、それを経験を通じて学びました。

 

与えられた試練は使いこなすしかありません。それらをどう使いこなすかで、悲惨なことが、苦しんだことが、平凡に暮らしていたら到達しえないようなところへ連れて行ってくれるんです。

 

これらは自ら選択をして、この試練の中でも、自分は幸せを見出し、この試練の中からも意義を見出すと決めた者だけに訪れるものです。

 

大変な状況の中で「希望」を見出せた者だけが、本当に「希望」に出会うのだと思います。

 

どうか、アルコール依存症者が飲んでいようがいまいが、帰りが早かろうが遅かろうが、酔っていようが冷静であろうが・・・周りの環境に関係なく内なる「幸せ」を見出すことを始めてみてください。

 

内なる「幸せ」 の見出し方

自分の内側から幸せを見出すためには、アルコール依存症者に対して「愛ある無関心」を始めることです。つまり、変えられないものは神様に委ね、相手をコントロールしようとしたりとか、変えさせようと怒ったり、イライラしたり、叱責することで相手と自分を傷つけることをやめることです。

 

アルコール依存症をいう恐ろしい病の中にあるわずかな死角(悪が及ばないところ)が、この「愛ある無関心」にあると思います。

 

この一見矛盾したように聞こえる「愛のある無関心」の中に、アルコール依存症者と過ごす人にとって、必ず「幸せ」を見出すことができるはずです。

 

あとは、幸せになることを自分自身で許し、無駄な抵抗をやめる勇気だけです。

 

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