アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

アルコール依存症者を無視しようとしないで

アルコール依存症者の家族が、依存症という病気にくたびれたとき、新たな手段として「無視」という選択をすることがあります。

 

今回は、アルコール依存症者に対する無視について書きます。

 

私はこの「無視」を経験済みです。経験済みと書くと、まるで「やったことがある」感が出ていますが、実はそんな優しいものではなくて、無視し続けました。

 

アルコール依存症という病気は、ご存知の通り、本人が治そうとしない限り、周りは全くコントロールができず、本人すら自分をコントロールできない病気です。時に周りの働きかけは改善どころか、悪化につながりかねない、何とも難しい、恐ろしい病気です。

 

「家族にできることはない」とどこまでも知ることが、家族にとっては重要であり、家族がこの問題から、離れることによって、アルコール依存症本人が、自分でこの病気と向き合うしかないのだと気づくきっかけにもなります。

 

でも、こうやって、病気についての「無力さ」を理解すればするほど、時に、それが「無視」という行為に繋がってしまうことがあります。

 

それが、以前の私でした。

 

だって、「何もできないんでしょう?家族は関わらないほうがいいんでしょう?じゃあ、無視すればいいじゃん・・・」まあこんな感じです。

 

でも、これは間違った理解でした。

 

アルコール依存症者に対して、無力を認め、本人の問題を本人の問題として、離脱することは、アルコール依存症者を「無視」することではありません。

 

もう一度。「無視」することではありません。

 

無視とはそもそもなんなのか?ということを考えると、国語辞典の意味では、

現にあるものを、ないもののように扱うこと。

 

とあります。

 

例えば信号無視。赤だけど、まあいいや、車がないから渡ろう・・・みたいな感じです。

 

無視は、決して感情的では、ありません。

 

目の前にいる人にオレンジジュースをかけてしまって、真っ白のシャツがオレンジ色に染まったのに、何事もなかったかのように、その場を通り過ぎること・・・これも無視ですね。

 

閉館時間なので出てください・・・と図書館で、何度も放送がかかっているのに、何食わぬ顔して、新しい本を探し始めること・・・これも無視です。

 

無視している人は、あんまり関心がないんです。どうでもいいんです。「知らねー」って感じの気分です。

 

もし仮に、赤信号を前に、「あっ赤だ、車は来ていないけれど、赤だから止まるべきだよな、無視したいけれど、向かい側の人も止まっているし、止まるべきかな・・・」なんてことを、ごちゃごちゃ頭の中で考えていたら、大抵その人は渡りません。そうこうしているうちに信号は青になります。

 

意識して、何かをしようと考えるだけで、もう無視じゃなくなるんですよね。

 

もしかしたら、結果的にはその人は信号無視をして、赤なのに渡ったかもしれませんが、その人の心は完全に【信号無視】に支配されちゃっています。信号無視をめちゃくちゃ意識しながら、信号無視をしています。そういう意味では、信号を無視できていません。

 

無視っていうのはもっとドライなんです。

もっと冷たいんです。

もっと残酷なんです。

 

感情もあんまりないし、意識もあんまりない。本当に言葉通り、見えているのに、見えていない、見ていないんです。

 

少し無視についての話が長くなりましたが、これをアルコール依存症者との日常に戻したときも同じことが言えます。「無視しよう」としている時点で、全然無視できていないんです。

 

「無視しよう」と決めるということは、その存在を認めています。だから、結局、「無視していない」ことを認めるようなことです。

 

本当に無視する人は、「無視しよう」などとは思いません。もう既に無視しちゃているんです。

 

そう考えると、アルコール依存症者を無視するって現実的か?アルコール依存症者は夫、もしく妻、もしくは親、もしくは子供・・・。こんなに自分と世界で最も深く関わったことのある人を簡単に無視なんてできるのか?

・・・

・・・

できっこないです。

 

身体だけは無視していても、心の中はめちゃくちゃ考えています。めちゃくちゃ「存在」認めているんです。

 

家族だからこそ、結果的に無視しようとまで追い詰めるほどに、アルコール依存症をどうにかしたい!!!ってこの思いも、無視どころか、めちゃくちゃ「関心」を持っているわけです。関心を持っているんだから、あえて書くなら「有視」・・・もう、「無視」の真逆です。

 

聞きかじった知識を深く理解せず、アルコール依存症者に対して、私は何もできないのなら、無視をしようと飛びついた私は非常に愚かでした。

 

不器用な私は無視に忠実になろうとしました。

 

そうやって、私が【必死に】無視をした結果、夫はさらに暴れ、私は「にせ」の無視にさらに苦しみ、2人共がむしろ不幸になりました。

 

無視は誰も何も救いませんでした。

 

「にせ」の無視は憎悪を生み出します。無視できないものを無視しようとするものは、心に強烈なストレスを与え続けます。

 

そして、それは自分を傷つけるだけでなく、意図的に、アルコール依存症者を傷つける行為でもありました。誤解がないように付け加えますが、結果的に無視のようになっていることと、意図的に無視することは意味が全然違います。

 

後者は、そもそも無視ではなくて、攻撃です。アルコール依存症者は、その違いを敏感に見抜きます。

 

無視しようとする不自然な抵抗は、心身を疲労させるだけです。

 

アルコール依存症の病気は、心や思考の病です。回復のために、リラックスどころか、むしろ「無視しよう」とガチガチに固めて、頑なになって、メラメラ燃えて、「意識的に無視する」行為・・・誰も幸せになりませんでした。