「死」を受け入れて、私は無力を認めた
※この記事は、「死」をテーマに書いていますので事前にご了承ください。
私が、夫に対して、本当に無力を認めることができるようになったのは、「もし(夫が)死んでしまうのなら、それはそうなんだ・・・」と一番最悪な状況を心から受け入れられた時です。
以前夫は、私が夫の飲酒でイライラとして疲れ切っている態度に、ますます孤独感を募らせ、「自殺したい」とよく言っていました。今はそのようなことは言いません。
むしろ、「君がいなかったら、死んでいたと思う・・・」とかは言ってきます。(ちなみに私はそう言われても、その発言を大げさにとらず、「あー私の存在は人命救護に役立ったのね!」なんて間違っても思いません。そんな風に、自分の価値を過大にしてしまうと、また共依存に戻ってしまうからです。)
「自殺したい」の発言に平常心を失っていた頃
この病気について無知だった頃は、そんな夫の脅しに翻弄されて、たまたま実家に戻っていたのに慌てて、新幹線に言葉通り「飛び乗って」、直特急で帰宅したり、「あなたは一人じゃないのよ!!」みたいに励ましたりしていました。
私はこんなに夫を大切にしている、愛しているのに、どうしてそのことを理解してくれないのだろう・・・と悩んだりしていました。
「自殺したい」願望を理解し始めた
それから、私もアルコール依存症を理解しはじめ、夫が「自殺したい」と言っても、かなり冷静さを保てるようになりました。
と言うよりも、確かに、毎日、毎日、アルコール漬けになって、人生に希望も光も見えないなら、「そりゃあ自殺したいくらいの気持ちになるのは普通だよな…」と思い始めたからです。夫の発言そのものよりも、夫がそう発言したくなる気持ちを見ようとするゆとりが出てきました。
夫にとっては、目の前にいる妻(私)には、自分の問題のことに関わってきてほしくないのに、妻はこの問題に振り回されて、不幸になっていると思うと、ますます自分を責めて、「本当に生きていてもどうしようもない」くらいの気持ちになっているんだろうなーと夫の気持ちを段々理解できるようになってきました。
そうやって、「自殺したい」という言葉を真に受けず、その裏にある夫の思いを理解しようと努めることで、「自殺したい」と言われても、自分でも怖いくらい動揺することがなくなってきました。
ある意味では、私は冷たい人になっていたと思います。夫に対しても事務的な会話しかしなかったり、すごく合理的に対応していました。
夫がベランダから飛び降りようとした日
ある日、夫は、私のあまりにも動揺しない態度に今度は恐れたのか、「もう自殺する」とか言って、ベランダへ行って、足をあげて本当に落ちようとしました。
その時、私は夫を止めようともしませんでした。でも、私は後ろから夫に「本当に私を、愛していなかったのね。」とだけ言いました。(そう言って、自殺を止めようとかいう気持ちでは全くなく、本当にそうなんだね…という悲しみでいっぱいでした。)
夫はそれを聞いて、あげていた足を下ろし、部屋に入ってきました。
それから、少し会話を交わし、夫はその後ベッドの中に戻ったのか、ソファに座ったのかはもう忘れましたが、静かになりました。
その時の会話は、夫が死んだら、私は人生において、ずっと死ぬまで大きな痛みを抱えて過ごすことになる。私はきっと生きるだろうけれど、どう生きられるかはわからない…私は80まで苦しむとか、そんなようなことを、緊張感のある張り詰めた状況の中で、必死で夫と話していたと思います。
私は夫の決断は夫の決断として尊重する態度は変わりませんでした。「死」を選ぶなら、それまでだと。でも夫には私自身が「あなたの死において、心が枯れる」という気持ちがきっと夫に伝わったのだと思います。
だから、夫は私からの「愛」を受け取ってくれて、ベランダから戻ってくれたのだと信じています。
今はこんなことをつらつらと、のんきに書いていますが、あの時の私は、本当に恐怖でいっぱいでした。
「平常心を保っていた」というのは傍から見て、そう見えるような態度であっただけで、私の心はきっと凍りついていたと思います。
今でも、ベランダから落ちようとする姿はついこの間のように鮮明に思い出せるのです。
死を認めて、無力を受け入れた
アルコール依存症は、周りの人がどうこうできるものではありません。本人すら否認する、本当に難しい病気です。
そして家族は、これまでの生きてきた経験から、どうしてもなんとかしようとしています。「私はアルコール依存症に対して、無力である」ということを、頭の中でわかっていても、どこかまだ「自分」が残っていて、その「自分」が何かことを起こそうとしてしまうのです。
怒りも悲しみも苦しみも、生きているから起きています。アルコール依存症の場合は、これも決して大げさな話でなく、ある意味では本当に「死」と隣合わせの毎日なんです。
「死」にまで連れて行くかもしれないという現実に、「本当に何もできない、もしもそうなるなら、それはそうなるだったんだ・・・」とここまで私はどん底に落ちきって、ようやく自分の弱さを、小ささを、無力さを、全身で感じました。その時に私は見えていなかった自分の姿を知りました。
今までは動かない壁をずっと叩いていました。叩いて、叩いて、叩きすぎたら、手から血が出てきました。血が出ているのに、まだ動くだろうと叩き続けていたら、今度は手が潰れてしまいました。手が潰れているのに、まだ腕を使って壁を叩き続け、最後には腕もなくなってしまいました…その時私は壁は動かせないんだと気づいた…きっと私はこんなイメージだったんだろうなと思います。
(すごく気持ちの悪いイメージの話でごめんなさい。)
無力を受け入れて解放された
この無力さどこまでも認めて、初めてこの病気から解放されていきました。
今、夫を愛し、夫は私を愛しています。お互いにそれぞれの問題に向き合い、改善しようとそれぞれがそれぞれのやり方で努力しています。
その進捗も改善度合いも干渉せず、それぞれの成長のスピードを尊重しあうことができていること、そして、互いに問題はありながらも、夫婦として、人生を分かち合い、前を向いて歩んでいこうとしていること、希望を持てていること、これは本当に、無力になり切った後に起きた奇跡でした。
まだまだどこまでも、自分には問題があって、自己中心的であったり、恐れや不安の中に留まったりしてしまうこともあります。3歩進んで、2歩戻るみたいなことをしてしまう時もあります。
それでも、毎日が成長の機会です。生きている限り学び、やり直しができます。1日、1日、自分を棚卸しして、これからも元気に生きていきます。