Noを言いまくる必要性
アルコール依存症者と関わることにおいて、「No」と言うことは必須の武器です。
「No」を言いまくらないとやっていけないことは多々あります。
アルコール依存性に振り回されていた時は、本当は明らかにNoなのに、目をつむって、自分の気持ちに反してYesとか言っていました。Yesと言ってなくても、結局、やってることがYes だったりしました。
だから、してあげるわ、やってあげるわで本当に振り回されていました。
Noを学び、Noと言っていいどころか、Noと言った方が良いことを知ってからは、私はNoによって自分の領域を守ってきました。
何より、自分の時間を、気持ちを、です。
Noが伝わらないときは、怒ってでも、相手を押し倒す勢いで、Noと言いました。
Noというのは、愛がないとか、可哀想だとか思うのは錯覚なだけで、実際は違います。
それどころか、Noと言わない方がよっぽど愛がないんです。
責任を肩代わりし、本人がいつまで経っても自分の問題に向き合わないのだから。
ってことは、いつまでも本人が問題の中な留まることを、いいよ、いいよしてしまっていることと同じ。
中途半端な態度だと、相手も怒っててきます。でも、本気のNoは相手を制止します。
なめられてはだめでも書きましたが、Noと言わなければ、ますますなめられます。
なめられれば、なめられるほど、理不尽さに心砕き、どうにもならなくなります。
アルコール依存性者はよく狂ったように怒ったり、怒鳴ったり、家のものを壊したりします。
こんなことにひるんで、ビビってNoというのを躊躇してはいけません。
Noと言ったら、また暴れるんじゃないかと思って、恐れてはいけません。恐れから優しくするのは真の愛ではなく、必ずどこかでほころびが出ます。
恐れは愛と対抗します。
本当に愛するなら、堂々とNoです。受け入れられないこと、受け入れがたいことを突き放します。
それによって本人が悲しもうがどうなろうが、Noです。
一回言ったNoで伝わらないのなら、何度でもNoです。大きな声をあげてでもNoです。家を出て行ってもNoです。
絶対にNoです。