開き直る力
アルコール依存症者と生活していると、予想できないことが、度々起こります。
計画は計画通りに進みません。
言ったことは実行されません。
常識は通用しません。
期待は実現されません。
願いが叶いません。
・・・
こんなことが何度も続くと、家族の心は折れます。
だから、アルコール依存症は
家族を巻き込む恐ろしい病気
と言われるんですね。
Noutiは、Noutiなりにアルコール依存症者の家族の立場でいる人の、今の辛さがわかるし、できるなら、逃げ出してほしいと思います。
本当に地獄を知っているから、気休めに、「家族なんだから。」とか、「病気なんだから。」とか軽々しく言えません。
それどころか、こんな病気の状態の人と関わっていながらも、自分を平静に保ちながら毎日生活をしているあなたは、ただただ「すごい」と思います。
でも、渦中にいる時は、本当苦しいですよね。
苦しくて、苦しくて、
「なんで〜〜!!!????」
「なんで、こうなる〜!!??」
って何度も思いますよね。
Noutiも何度も思いました。死ぬほど思いました。
アルコール依存症者って、家族側の気持ちをわからないわけではないけれど、家族側の気持ちを汲む、余裕なんてありません。
アルコール依存症者がアルコールを飲んでいるんじゃなくて、アルコールによって飲まれているから。
だから、自分でもバカだと思っていても、虚しくても、切なくても、泣きながらでも酒を飲むんです。
それが依存症っていう病気です。
だから、酒を飲むと家族が悲しむからとか、こう思うから、こうしよう・・・みたいな思いは、できないんです。
本人が自分の「したい」に打ち勝てない状態ですから、家族の「してほしい」なんかに応えられないのも、当然ですよね。
アルコール依存症者の家族にとって、ブレークスルーが起きるとしたら、こういう状態になることです。
それは、
飲んでいようがいまいが、いちいち大げさに考えない
です。
実は、飲むという行為そのものは、アルコール依存症の症状です。
家族はその飲む行為に苦しんでいるわけじゃないんですよね。
家族が苦しんでいるのは、その飲む行為から「様々なよろしくないこと」を連想するからなんです。
つまり、過去の記憶を一気に呼び戻すからです。
殴られた人は、飲む=殴られるになります。
暴言を吐かれた人は、飲む=暴言を吐かれるになります。
その他、様々なアルコール依存症者が過去にしてきたことを、脳から一気に呼び起こすんです。
そのメモリー復活が、私たちを壮絶に苦しませます。
実は目の前で起きていることは、あまり大したことではなくても、記憶が呼び起こされて、恐怖でがんじがらめになった家族は、もう「とてつもないことがまた起きた」と即座に考えてしまうんです。
これが、つまり、
大げさに考える
ということ。
そうすると、どんどん苦しくなって、自分を守らないといけないから、攻撃的になっちゃうんです。
ここで考えてほしいのが、そもそも発端は何だったのか?ということ。
アルコール依存症者が酒を飲むという行為を、何十倍も『意味』あるものにしたのは、私たちの記憶です。
記憶によって、よからぬことを考えた結果です。
つまり、結局、記憶を呼び起こして、連想するプロセスが変化すれば、私たちのアルコール依存症者に対する反応も変化していくということです。
では、どうするのか?
それは、
ってか、飲んでいても飲んでなくてもどっちでもよくない!?
のスタンスになることです。
これが開き直り。
飲んでいようが、飲んでいまいが、その人の価値は変わらない・・・。
人の価値を『行為』で図ろうとするから、苦しくなります。
人の価値を『行為』で考えている限り、アルコール依存症と過ごして、アルコール依存症に苦しんでもがいて、やりたいことができていない『私』は、苦しい・・・になります。
結局、鏡なんですね。
アルコールを飲むか飲まないかで、人を見る限り、自分に対しても、何をしているかしていないかで常に考える。
だから、殴られた私は価値がない、と考える。
暴言吐かれた私は価値がない、と考える。
行為レベルで考えちゃうから、自分で自分をどんどん苦しませちゃう。
そして、挙げ句の果ては、これ、全部、
そもそもアルコール依存症のせいやん!!!💢
っていう怒りが湧いてきて、攻撃し返す。
そして、また関係がおかしくなる。
・・・
・・・
この繰り返しです。
人の価値を『行為』でいつも考えていると、絶えず振り回されるんです。
絶えず、何かと比較し、絶えず評価し、絶えず、ジャッジします。
『行為』で考えるのではなくて、その人の存在を見て、その人が生きているってことに注目するのが、さっきの、
ってか、飲んでいても飲んでなくてもどっちでもよくない!?
のスタンスです。
こういう生き方の方が随分と楽です。
なんで楽なのかというと、やっぱりそこには愛があるから。
結局、寝たきりでも、障害者でも、問題を起こす人でも、
「まあ、ボロボロでもその人はその人なりに生きているんだね。」
って考えることができれば、あんまり一つ一つのことに、大げさにならないようになります。
大げさにならないと、いつも自分が冷静でいられます。冷静でいられると、落ち着いているから、自分の心は穏やかです。自分の心が穏やかだと、自分の人生がどんどん充実していきます。
ってことは、結局、大げさにならないことって自分にとってすごくプラスなんですね。
こういう気持ちになるためには、一度ことが起こった度に、開き直って、開き直って、開き直るを繰り返し続けることです。
訓練です。
開き直るの訓練です。
開き直らない方に、癖がつきすぎているから、癖を変えるためには逆側に絶えず持っていくんです。
10年ついた髪の分け目を変えるかのように。
人間誰でも一発でうまくいきません。
だから、日々の歩みの中で絶えず訓練して、自分を変えていって、どんどん自由になっていくんです。
マジックはなくて、尊い時間を使いながら、頭を使いながら、時に失敗しながら、失敗して、大失敗もしながら、それでも成長していく。
共に成長していこう、勝利しよう、2020年!!!