アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

「依存症は病気」の認識は家族のため

アルコール依存症は否認の病気であり、
なかなか本人が病気であることを自覚しない」
とよく言われます。

 

ただ、Nouti的には、自覚していても、否認をやめても、
『やめられない』のがアルコール依存症であり、
否認しなくなって、現実を認めたから、どうこうって言う
単純な話ではありません。

 

人によっては、くちゃくちゃになって、人生が壊れ始めても、
まだやめられないのは、「やっぱりどこか否定している部分がある。」
と言うかもしれませんが、
ぐちゃぐちゃになってしまっのは、もう現実になっているので、
それを「否認」し続けていると言うよりも、
苦しすぎて、ただ「依存」し続けているのが、
アルコール依存症のように思います。

 

アルコール依存症は、
病気であり、精神の病であると理解することって、
家族側にとってはすごく大事です。

 

でも、アルコール依存症本人が、自分は病気であるって認めることって、
そんなに大切なのかと思います。

 

Noutiの経験上、家族が「アルコール依存症は病気である」と理解することの方が、
本人が理解することよりも全然重要なのではないかと、一見矛盾してそうな考えを持っています。

 

というのも、
精神の病気って、どこかの外傷と違って、
自分は「病気だ!」と認識したからといって、
治療をしてもらい、治るみたいなそんな単純じゃありません。

 

人によっては障害者手帳をもらう人もいますが、
自分は精神障害者で、病人だと、自他共に認め、認められると、
本当にその様になっていきます。

 

「人って結局、自分が思う様になっていく」
ってところがあって、
アルコール依存症者が、自分はいつまでもアルコールに依存する、
アルコール漬けの病気だと認識すると、
やっぱりアルコールに集中してしまうんです。

 

当然、集中するものに目がいきます。
やっぱりアルコール依存症アルコール依存症らしく、
生活するんですね。

 

だから、アルコール依存症の家族で、
本人の否認を正せ、「アルコール依存症」であると自覚させようと、
奮闘している方は、
その努力は、あんまり実らないかもしれません。


Noutiも、かなり初期の頃は、飲み方に問題があるとか、
病気だとか、指摘しましたが、
逆に反発をくらいました。

 

アルコールなしでは生きられない自分に更に、
不安になって、アルコールに走るみたいなことを繰り返しちゃうんです。

 

アルコール依存症は、病気である。」と言う認識は、
むしろ、家族のためにあると思ったほうがいいです。

 

人の様子がおかしくても、その人が「病気である」と知っていた場合と、
知らなかった場合は、感じ方や受け取り方が全然違います。

 

「病気である」なら、理解できたことも、
「病気である」とは思っていなかったために、
イライラしたり、自分の心に怒りを育てたり、
不満になって、文句を言ったり、
納得しようと、相手からの説明を求めたり・・・。

となってしまうんです。

 

病気であるとわかっていれば、本当はもっと冷静に、
落ち着けたことはきっと沢山あると思います。

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