診断はあまり重要ではない
アルコール依存症の家族で、医者から「依存症」と診断されることが、重要!とか、重要とまではいかなくても、そのお墨付きをもらうこと、もらわないことに何か躍起になっていませんか?
Noutiの夫は、実は、医者から「アルコール依存症」と命名されていません。
と言うより、正確には、命名されるようには持っていかなかっただけです。
だから、正式名称は診断で受けたわけではないので、ただの「アルコールに問題がある」だけです。
じゃあ、夫のことを誰が最初にアルコール依存症と命名したかというと、
Noutiです。
何じゃ、それって話です。
Noutiが初めて、夫をアルコール依存症呼ばわりして、アルコール依存症と認識しました。
アルコール依存症って、『アルコール』に日々『依存』して、それによって『症』状が出ていることです。
Noutiの夫はまさにその典型みたいでした。
それで、Noutiはアルコール依存症のことを学び始め、ドンピシャだったので、Noutiが夫を勝手に命名しました。でも、Noutiが命名しなくても、恐らく医者も命名してくれただろうし、他の誰が見ても、明らかにアル中状態でしたよ。
夫がいかに飲みまくっていたかは、また別記事で書くので、ここでは細かく書きません。
ここで伝えたかったのは、「アルコール依存症」って言葉にすごく意味を持たせるのはあんまり意味がないということです。
医者が言ったとか、診断が出たとかもあんまり重要じゃないです。
だから第3者に認めてもらおうとか、第3者の判断を仰ごうとか思っている時点で、多分本質からずれています。逃げています。
第3者に頼るなら、診断されたところで、家族はかなりショックを受けたり、受け入れられなかったり、もしくはそれ見たことか!といきなり上から目線で調子に乗ったりします。
どれも変です。
アルコール依存症って否認の病気です。
本人の否認はもちろん、家族も否認します。
その結果、いつまでもこの病気と真正面から向き合えず、血なまぐさい戦いが続きます。
診断はあまり重要じゃないです。
本人が依存症と認めているかもあまり重要じゃないです。
名称はどうでもいいです。
本人を心配したり、本人をどうこうしようとする前に、家族がまず、依存症だと認めることです。
病気だと知ることです。
そして、この病気に対して無力だと知ることです。
降参することです。
そして、依存症という病気にかかった人と結婚し、生活していることを恥じないことです。
むしろ、愛を持って、共に戦っていくことです。
共に戦っていくとは、依存症の病に注目するのではなく、それぞれの人生は尊く、感謝溢れるものであることを知り、自分の人生に集中することです。
レッテルや診断名、ラベルや名称をつけることは全然重要ではありません。
つけても、それを受け入れられないなら、名称と実態の差の矛盾に苦しむことになっちゃいます。
重要なことは、相手を理解すること。
現実を認めること。
精神をどこまでも破壊する病気であることを認識し、家族は巻き込まれることから離れ、本気で壁をぶち破っていく強さを鍛えていくことです。
診断はあまり重要ではないです。