そのしつこさなくなります
アルコール依存症の夫のしつこく、ねちっこく、くどく、被害妄想的な態度に、妻であるNoutiはすっかり慣れきっていました。
だから、夫が回復に向かった時、Noutiにはある種の『好転反応!?』みたいなのを経験しました。
こんなことに戸惑ってほしくないと思ったので書きます。
酔っ払いの時の夫、アルコール漬けの夫は、色々な事が長いです。しつこいです。うざいです。
Noutiはどっちかというと、パッパとやるのが好きだから、飲んだくれのしつこさには本当に耐えがたいものがありました。
でも、怖いですね。
人間って慣れちゃうんですね。
夫のしつこさも、ウザさも、年月と共に、すっかり慣れてしまうんです。ヒョンとした時に、なんで私こんなバカと付き合っているの!?みたいな思いがじわじわと湧いてきて、爆発することは何度もありましたが、基本は慣れちゃうんです。
だから、基本はねちっこくて、うざったるくて、しっつこくて・・・そんな夫に慣れちゃうんです。
酔っ払いは、うだうだ話します。どーでもいい話が長かったり、肝心な話をせず、くだらないことばかり言ったり・・・。なのに、慣れちゃうんですね。怖っ。
で、身体も心も、こーゆー家族にすっかり慣れちゃうと、ある程度の免疫がつくのか、色々と平気になります。
ウザさが、標準になってきて、そうそうのウザさでは耐えられるようにできてくるんですよ。人間の適応力ってすごいです。
で、そーゆーのにめちゃくちゃ慣れきっているから、アルコール依存症が回復に進んだり、夫が懺悔して、悔い改めて、生活を変えたり、断酒をしたり、とにかく、変化を起こすと、そういうウザッたさ、ねちっこさ、しつこさみたいなのも、だんだん薄れてくるんですね。
当然と言えば、当然です。正常に戻りつつあるわけですから。
そこで、Noutiがなぜ『好転反応』と書いたかと言うと、あんまりにも、アルコール依存症の家族も、アルコール依存症のグタグタ感に慣れすぎて、免疫持ちすぎているから、飲む量が減ったり、飲み方が変わったり、飲む種類が変わったり、もしくは断酒したりで、そういうねちっこさとか、しつこさとか、ウザッたさが薄れてくると・・・・脳内で、若干、
え!?
え!?
え!?
ってなってくるんです。
キモいですよね。本当に散々アルコール依存症の問題を指摘しながら、いざ、回復し始めると、その変化についていけず、
え!?
え!?
え!?
って脳内がちょっと混乱を起こすっていう・・・。
これ、書いていてもちょっと恥ずかしくなります。実際にNoutiも、変な違和感を何度も経験して、自分で自分を、本当ないな〜なんて思いました。
何かの本に書いてあった、「アルコール依存症の家族は、アルコール依存症を必要としている・・・」的な文言に、「ばっかじゃねーの?」っ思ったのに、その言葉が少し脳内をかすめるような変な感覚でした。
アルコール依存症をクソ扱いして、地獄扱いして、死にたいくらいにまでなっていたのに・・・。
ただ、こういうのって、人間だからしょうがないと思います。周りに依存症がいたら、自分を適応させてしまって、そして今度は人が変わると、やっぱり影響を受けちゃうんですね。
これは、アルコール依存症の本人にとっても同じで、やっぱり家族がまともになったり、共依存から離れていくと、それはそれでやっぱり影響を受けちゃうんですね。人間って互いに影響を与え合う生き物。
Noutiの夫は、飲んだくれとシラフの変化が結構顕著で、回復が進んだら、しつこいメールも電話も一切なくなってしまいました。
なんだか、あっさりあっけなかったです。
絶対に書きたくないですが、書きます。本音では、ちょっと「さみし〜」みたいなのがどこかにありました。(Noutiのバカバカバカ・・・)
本当、アホだと思います。アルコール依存症に散々文句言っていて、いざ相手が回復し始める時に、アルコール依存症に未練があるみたいな気持ち。
おかしいです。
ってか、本当に頭おかしすぎ。
・・・
って自分に言い聞かせなきゃいけないレベル。
どれだけ、依存していたんだよ〜!!!!
って思います。
アルコール依存症者がどれだけアルコールに依存していたかなど、わからないように、自分がどれだけアルコール依存症に依存していたかも、本当は全然わかってなくて、もしなんかの統計で、それが見られるようになったら、多分、びっくりするほどの数字が出るんだろうな〜って思います。
アルコール依存症の家族がいて、本当に何もかもがぐちゃぐちゃになって、毎日、血も流れるような喧嘩をしていて、近所に恥ずかしいくらいの大声出していて、死にたい、死にたいって思っているような日々の中で、どれだけ、アルコール依存症の存在が大きなものになっちゃっていたのか・・・自分の中で・・・実はどれだけ自分がアルコール依存症に依存していたのか・・・
Noutiの場合は、回復期になって、自分の依存度がどれほどのものであったのか、自分がどれほどアルコール依存症を思いのままに使う道具にしていたのか・・・思い知ることになりました。