今日だけを生きる
アルコール依存症って、基本その日暮らしです。
今日だけを生きることに必死です。
だって、飲んだって、本当はどうにもならないし、それどころか、翌日も疲れが残るだけだし、本当はいいこと一つもないけれど、今この瞬間、飲まなきゃやってられないから、飲む。ただそれだけです。
思考は1日単位で、明日のことも、明後日のことも、あんまりまともに考えられません。
アルコール依存症の人は、よく忘れるとか、無計画なことをするとか、段取りが悪いとか、色々なことに不満を感じている人もいるかもしれませんが、実はそれらのことに不満を感じることの方がよほど筋違いで、本来、忘れるも何も、今この瞬間のことしか考えられないし、無計画どころか、今この瞬間の計画すらよくわからないし、段取りが悪いも何も、生きていること、マジ辛いって思っている段階です。
そう思うと、家族の不満って、基本アルコール依存症にとっては、要求レベルが高すぎたり、そもそも今はまだ全然無理なことを、四六時中願われていたりしているだけだったりするんです。
今日だけを生きるってすごく格好いいような言葉として使う人もいるけれど、アルコール依存症の毎日だって、十分、「今日だけを生きる」をやっています。
もうね、毎日毎日必死なんですよ。
ぼーっとしているように見えて、何にもしていないように見えて、それでも彼らたちは彼らたちなりに今日だけを生きています。
あなたが高速道路で100キロで走っているなら、そりゃあ、40キロの徐行運転されたらたまったものじゃないだろうし、「遅いよ!」って、すぐに追い越すだろうけれど、アルコール依存症の彼らは、アルコールっていう巨大なタンクを背負っているから、本当は120キロくらい出したい気持ちなのに、重くて、重くて、全然スピードが出ないだけかもしれない。
もし彼らたちが、実は必死で、アクセル全開に踏んでいて、それでも全然でないスピードに苦しんでいるんだってわかったら、「遅いよ!」って話じゃないんだなって、家族も少しは理解できるようになってくると思います。
そのアルコールの巨大なタンクの中には、実は苦しみとか悲しみとか恥とか恐怖とか不安とか、トラウマとか・・・
そういう諸々のものが詰まっているですね。きっと。
そうすると、「タンク下ろせば!」っていう一言は不要ってわかってくる。「そういう問題じゃない!」ってだんだん見えてくるんですね。
こうやって、理解してあげることって、アルコール依存症の人にとって、大きな支えになると思います。
アルコール依存症は今日も、一生懸命、今日だけを生きています^^
なかなか難しいかもしれないけれど、横目で「すごいな!」って思いながら、あなたも今日だけを一生懸命生きよう!