家族会について思うこと
アルコール依存症の家族会について思うことを書きたいと思います。
Noutiは現在、家族会に行っていません。
ただ、過去に家族会に行ったことがあります。初めて行った日は、本当にズタズタな時で、行くこと自体もすごく勇気が必要で、ギリギリまで緊張していました。
行ったら温かく迎えてくれて、初日に泣いていました。
だって、Noutiはアルコール依存症のこと、誰にも言えなかったし、本当に全部自分で抱え込んで生きてきたから、誰かに堂々と言える、それを聞いてくれている人がいる・・・もうそれだけで何か肩の荷がドサっと落ちた気持ちになったんだと思います。
家族会は使い方を間違えなければ、すごくいいところだと思いますが、使い方を間違えるなら、最悪な場所にもなりうる所だと思います。
また、家族会は行き続ける所ではないとも思っています。
何かしらの目的があって、行き続けているのはまた別かもしれませんが、家族会自体に「依存」しているなら、危険です。
「依存」すべき相手は、家族会でも、アルコール依存症の夫でもないし、まして、この問題を誰かに、何かしらに「依存」して、解決していこうとする試みに罠があると思います。
むしろ、「アルコール依存症」ということにすっかり虜になってしまっているからこそ、意識的に切り離していく、「脱・依存」していかないといけないものだと思うんです。
家族会が好きになってしまったり、家族会にいる仲間と親しくなりすぎるのも、どうかなと思います。
家族会に行くことが楽しいとか、行くことで救われる…も変です。家族会を何か、サークルや、コミュニティのように捉えてしまっているんです。
ますます、家族会に「依存」してしまいます。
それに、家族会に行くことは、日々自分はアルコール依存症の家族だと認識することです。
日々、「自分はアルコール依存症の家族だ」と認識する必要ってどこにあるんでしょう?
むしろ、積極的に、「アルコール依存症の家族」である囚われから切り離していくことです。
別にこれは何も、楽観主義になるとか、現実を見ないとかいう意味ではなくて、毎回、毎回、家族会に行く度に、
「私はアルコール依存症の夫(妻、娘、息子、父、母)を持つ〇〇です」
って自分に言い聞かせる意味ありますか?って話です。
自分が誰と認識するかって、すごく大きなことだと思います。
いい面ももちろんいっぱいあるし、学びもいっぱいあるし、ピアカウンセリング的な手法で、色々励まされたり、慰められたりする面もいっぱいあると思います。
でも、決して、ずっと行き続けるものとも、通えば良くなる的なものでも、自分の毒を吐き出すストレス発散の場所でもないと思います。