アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

怒りについて思うこと

私は夫に対して、とても怒りやすくて、それは、夫がアルコール依存症だからとどこか自分を正当化していたけれど、どうも自分の怒りやすさは、自分の性質としてこびりついているもので、ただ単に短気なのだと思います。

 

確かに、長年のアルコール依存によって、精神、思考に影響を及ぼすことはあって、元々「怒りやすい」素因を持った人間が、ただ単にアルコール依存症と関わることによって、その性質が開花してしまうってこともあるんだと思います。

 

別に、家族にアルコール依存症がいなくても、よく怒っている人間はいるし、そういう人はそういう人で、また別の理由で課題を抱えています。

 

アルコール依存症の夫を通じて、自己分析をし続けてきて、本当に心から思うことは、「怒る」ことは無駄なことだなということ。自分に対して「怒る」も、他人に対して「怒る」も、目に見えない何かに対して「怒る」も。

 

あまりにもよく「怒る」から、「怒る」ことだって、立派な人間の感情、自然なこと、怒りを溜めようとするとかえってストレスになる、怒るからこそ守れるものだってあるとか・・・数々の怒りを肯定したような言葉に慰めを得ていたこともありました。

 

でも、やっぱりNoutiとして思うのは、わずか80年ほどの大切な人生、「怒る」ことは無駄であり、避けられるものなら、避けて通りたいものだと思うし、避ける価値がとてつもなく大きいものだと思います。

 

よく「怒り」をエネルギーに変えるとか言いますが、それも一つの賢明なやり方で、元々何かの行為の裏には「怒り」があったけれど、でも結局やっていることは奉仕だったり、貢献だったり、人のため、自分のために活きたことをやっているのであれば、それは尊い時間なんだなと思います。

 

人間だから怒りが湧いてくるのは当たり前!と逃げていたら、いつまで経っても、この「怒り」を転換して、力に変えることなんてできません。

 

だから、怒りは無駄、怒っている時間は無駄とまずは潔く認めることは大切だと感じます。

 

要は、怒ることによって瞬間的な解放感を得ようとしちゃいけない・・・ということです。疲れた1日の最後に、スカッとしたくて、炭酸を飲むとか、お風呂に入るとか、テレビを見るとかと同じような感覚で、スカッとしたくて、怒る・・・こういうことをやってしまっていると、結局のところ、さらに膨らんだ不快さを持って、戻ってくるんです。

 

やったことがかえってくる。

 

この原則です。

 

怒った後、せいせいした、幸せな気持ちになったなんてまずないと思うし、もし仮にあったとしても、それは悪魔のような薄笑いがこもったいやらしい幸福感であって、長続きしません。

 

怒りが連れてくる感情は負の感情だし、人生を前に進める気力を奪う感情です。

 

人生の中で、怒りを取り除いていくことに必死になるのは、「怒らないようにしよう」と自分を抑えつける窮屈なものではなくて、勇気を持って幸せになろうとする肯定的なものだと思います。