アルコール依存症の夫に怒りがあるあなたへ
アルコール依存症の数々の問題点によって、心に怒りを抱いてしまっているあなたへ。
怒りが心に湧いてきて、オッケーです。全然、オッケーです。
恨みや敵意を持つなとか、怒るなとかいう人に耳を貸さないようにしてください。
アルコール依存症の家族が感じる、アルコール依存症の夫に対する怒りは、思いっきり転んだ拍子に、足膝を思いっきり地面に擦って、大量の血が流れてしまうのと似ています。
怒りを心に抱くとか、抱かないとかそういうものではなくて、アルコール依存症による問題行動によって、家族の心が一瞬で破裂し、心から血が流れて、怒りが湧いてくるんです。
だから、アルコール依存症に怒りを感じるのは、自然なことです。
真面目な人は、恨みや敵意などを「汚い心」として、それらを持つこと自体を拒みます。でも、これでは勝利しません。少なくとも、アルコール依存症の戦いには勝利できません。
アルコール依存症は病気です。
病気だから理屈じゃないんです。
身体障害を患っていて、手が不自由な人に対して、「なんで身体障害者なの?手がちゃんと使えた方が便利じゃん?」って誰も言いません。
同じように、アルコール依存症に「なぜ問題行動を起こすの?」と考えるなら、不毛な戦いに突入することになります。
誰だって、やられたら悔しいし、やられたら悲しいです。理不尽な扱いをされたり、唐突に殴られたり、暴言を吐かれたりしたら、時に自分のプライドも尊厳もズタズタにされることだってあるかもしれません。
怒りは、転んだ時に瞬間でる血と同じ。瞬間的に自分を守るための心の反応です。
だから、怒りが湧いてきているなら、心が破裂しちゃっているから、心から血が流れちゃっているから、すぐに、
「悲しかった!」「悔しかった!」「最悪だった!」って、素直に正直に思うこと。
間違っても、即座に「これにも意味がある。」とか、「私も悪かった。」とか、嘘と偽善に走らないこと。こんなことは何年も経ってから、人生を振り返って考えることです。今この瞬間の出来事に、今この瞬間の怒りの感情に適当に結論付けて、蓋をしないでください。
怒りが悲しみの怒りだろうが、憎しみの怒りあろうが、敵対心の怒りだろうが、どんな怒りであろうと、「あ〜怒っている。」ってことをちゃんと認めること。
その時、その場で、心が疼く感情を押し殺さないこと。押し殺してしまうと、蓄積するから。
そして、宣言するんです。自分の心に。
「辛かった!」「悲しかった!」でも、私は今からこの心の痛みを引きずることはしません。血を流し続けることはしません。ちゃんと拭いて、血を拭って、また綺麗な心を持ちます。私の心は更に成長しています。人の心の痛いがわかる心に生まれ変わっています。
のように宣言して、自分で、決着をつけるんです。
アルコール依存症の家族がよくやってしまいがちな間違いが、
「私は、心からこんなに血を流しているんだよ!見てよ!あんたのせいで!見なさいよ!!!!!」って行為です。
こうすることで怒りは更に大きくなっています。
自分の怒りを病人に治してもらおうとすることは、本当に不幸になります。
アルコール依存症者は病人です。本人の心がボロボロの状態ですから、他人から痛々しい心を見せつけられても(たとえ、それが自分のせいであっても)、とてもじゃないけれど、治療することなど「絶対に」できません。
家族は、アルコール依存症を責めることによって、たとえ意味がなくても清々したわ!などというストレス発散になることはなく、余計に心の傷を広げ、自分の怒りを増幅させます。
なぜなら、言っている相手が病人だから。
まともな受け答えも、反応もできるわけありません。むしろ、言ったこところで、数秒後に酒ビンを開ける様子を見て、さらに怒るだけかもしれません。
不毛なループです。
今あなたが怒りを感じているその思い、Noutiはめちゃくちゃ分かります。すごい感じます。痛いです。辛いです。苦しいです。
だからこそ、止血するんです。自分でするんです。それが、人生を崩壊させるのではなく、成長することを選択するということです。