アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

自己憐憫は悪です

最近、ツイッター上でのつぶやきを結構アップしています。

色々と整理している中で、「あ〜こう勘違いしていたな」とか、「こういう風に考えていたから、いつまでも同じこと繰り返していたんだな〜」と気づくことが多く、短い言葉でまとめています。

その中で、一つ補足したいのがあって、ブログ書きます。

Noutiの中の問題の一つに、(もはや今はあまり問題だ!と考え、自分を責めるようなこともなく、仕方なかったくらいにしか思っていませんが)自己憐憫がありました。

 

自己憐憫とは、ヤフーで調べると、

「自分ってなんてかわいそうなんだろう」と自分自身のことをあわれむ感情のことです。 さらにいうと、自分自身のことを何かの被害者だと見なし、その悲劇性にうっとり酔ってしまっている状態のことです。 「悲劇のヒロイン症候群」などと言われることもあります。

 

と書いてありました。

 

要は、「自分かわいそう」状態です。

 

アルコール依存症の夫と度々バトルをしていた時、何度も何度もこの自己憐憫に陥りました。

 

Noutiは女ですので、(まあ、女も男も関係ないのかもしれませんが、)よく泣きました。

 

最初は、本当に反応的で、辛い、悲しい、だから泣く。どうして?どうしてこんなことになるの?だから自分はかわいそう・・・でしたが、

 

繰り返される問題行動と、何が起ころうが、飲み続ける夫を見ているうちに、段々と憎悪が募ってきました。

 

ここから歪んだ自己憐憫が始まります。

 

夫がリラックスしていると知ると、わざと、大きな音がするように、ドアをバシンと閉めたり、壁を叩いたりして、「お前は今、平和かもしれないけれど、私の心は荒れ狂っている!お前によって」と言わんばかりに怒りの気持ちを明らかにしていました。

 

それらの行為によって、夫が「大丈夫か!」と反応してくれたら、ようやく落ち着くなんてことをしていました。

 

あとは、いきなり荷造りを始めて、しかも普通の荷造りではなくて、急に食器とか箸とかまで集めて(笑)、「私は家を出て行きます。出ていかないとやっていられないほど、惨めで最悪なのです。」と言う気持ちを表さんばかりに、過激に唐突な行動をしていました。

 

また、夫は焦り、彼は慌てふためくのを見て、「まあ、いいか」とようやく落ち着いたりしていました。

 

Noutiが今回のツイッターで書いた、

は、そういう背景があります。

 

今思うと、Noutiの目的は夫からの注目でした。

 

Noutiがいかに辛くて、苦しくて、悲しくて、やってられないのかをわかってもらいたかっただけでした。

 

その表現方法があまりにも不器用で、過激な行動に出ていました。

しかも、夫がどちらかというと、落ち着いていて、飲酒も少なく、リラックスできている時こそ、過去に夫にされたことなどを思い出して、Noutiの中にメラメラした怒りが湧いてきて、爆発したんだと思います。

 

Noutiの爆発によって、結果的にどちらも落ち着きをなくし、互いに最悪な気分になるという、全くもって、不毛な行動でした。

 

何度か同じような夫とのバトルを繰り返す中で、自分自身の自己憐憫の問題、また、「私が(お前によって)苦しいのに、お前がリラックスしているなんて許せない」のような悪魔の気持ちが心に残っていたんだと思います。

 

夫は問題行動を起こす時に、

「君は僕が幸せになろうとするのを邪魔する。君は僕が幸せになったら面白くないんだ。」

と言ってことがありました。

 

喧嘩?バトル?の真っ最中の時には、そんなことを言われても、「また酔っ払いの戯言、本当にわけのわからないことばかり言っている」なんて、まともに聞いてもいませんでした。

 

しかし、よく考えると、Nouti自身が自己憐憫に陥って、過去にしてきたあらゆる行動は、まさに夫が言う通り、「アルコール依存症が幸せになろうとするのを邪魔している行為」他ならなかったと気づかされます。

 

いい自己憐憫なんて本当にないです。

自己憐憫に陥ったって、本当にろくなことないです。

 

「私はかわいそうだ」と言う考えが少しでも頭に霞んだら、本当に救いようもなく「かわいそう」な状況を作り出しますから、自己憐憫は絶対に避けて欲しいと思います。

 

絶対にです。