自己憐憫は悪です
最近、ツイッター上でのつぶやきを結構アップしています。
色々と整理している中で、「あ〜こう勘違いしていたな」とか、「こういう風に考えていたから、いつまでも同じこと繰り返していたんだな〜」と気づくことが多く、短い言葉でまとめています。
その中で、一つ補足したいのがあって、ブログ書きます。
アルコール依存症の相手に自分がどれだけ怒っているか、悲しんでいるか、失望しているかを表現するためにやるあらゆる行為は、空虚。いじめ。どっちも救われない。#アルコール依存症
— Nouti (@noutiblog) June 14, 2020
Noutiの中の問題の一つに、(もはや今はあまり問題だ!と考え、自分を責めるようなこともなく、仕方なかったくらいにしか思っていませんが)自己憐憫がありました。
自己憐憫とは、ヤフーで調べると、
「自分ってなんてかわいそうなんだろう」と自分自身のことをあわれむ感情のことです。 さらにいうと、自分自身のことを何かの被害者だと見なし、その悲劇性にうっとり酔ってしまっている状態のことです。 「悲劇のヒロイン症候群」などと言われることもあります。
と書いてありました。
要は、「自分かわいそう」状態です。
アルコール依存症の夫と度々バトルをしていた時、何度も何度もこの自己憐憫に陥りました。
Noutiは女ですので、(まあ、女も男も関係ないのかもしれませんが、)よく泣きました。
最初は、本当に反応的で、辛い、悲しい、だから泣く。どうして?どうしてこんなことになるの?だから自分はかわいそう・・・でしたが、
繰り返される問題行動と、何が起ころうが、飲み続ける夫を見ているうちに、段々と憎悪が募ってきました。
ここから歪んだ自己憐憫が始まります。
夫がリラックスしていると知ると、わざと、大きな音がするように、ドアをバシンと閉めたり、壁を叩いたりして、「お前は今、平和かもしれないけれど、私の心は荒れ狂っている!お前によって」と言わんばかりに怒りの気持ちを明らかにしていました。
それらの行為によって、夫が「大丈夫か!」と反応してくれたら、ようやく落ち着くなんてことをしていました。
あとは、いきなり荷造りを始めて、しかも普通の荷造りではなくて、急に食器とか箸とかまで集めて(笑)、「私は家を出て行きます。出ていかないとやっていられないほど、惨めで最悪なのです。」と言う気持ちを表さんばかりに、過激に唐突な行動をしていました。
また、夫は焦り、彼は慌てふためくのを見て、「まあ、いいか」とようやく落ち着いたりしていました。
Noutiが今回のツイッターで書いた、
アルコール依存症の相手に自分がどれだけ怒っているか、悲しんでいるか、失望しているかを表現するためにやるあらゆる行為は、空虚。いじめ。どっちも救われない。#アルコール依存症
— Nouti (@noutiblog) June 14, 2020
は、そういう背景があります。
今思うと、Noutiの目的は夫からの注目でした。
Noutiがいかに辛くて、苦しくて、悲しくて、やってられないのかをわかってもらいたかっただけでした。
その表現方法があまりにも不器用で、過激な行動に出ていました。
しかも、夫がどちらかというと、落ち着いていて、飲酒も少なく、リラックスできている時こそ、過去に夫にされたことなどを思い出して、Noutiの中にメラメラした怒りが湧いてきて、爆発したんだと思います。
Noutiの爆発によって、結果的にどちらも落ち着きをなくし、互いに最悪な気分になるという、全くもって、不毛な行動でした。
何度か同じような夫とのバトルを繰り返す中で、自分自身の自己憐憫の問題、また、「私が(お前によって)苦しいのに、お前がリラックスしているなんて許せない」のような悪魔の気持ちが心に残っていたんだと思います。
夫は問題行動を起こす時に、
「君は僕が幸せになろうとするのを邪魔する。君は僕が幸せになったら面白くないんだ。」
と言ってことがありました。
喧嘩?バトル?の真っ最中の時には、そんなことを言われても、「また酔っ払いの戯言、本当にわけのわからないことばかり言っている」なんて、まともに聞いてもいませんでした。
しかし、よく考えると、Nouti自身が自己憐憫に陥って、過去にしてきたあらゆる行動は、まさに夫が言う通り、「アルコール依存症が幸せになろうとするのを邪魔している行為」他ならなかったと気づかされます。
いい自己憐憫なんて本当にないです。
自己憐憫に陥ったって、本当にろくなことないです。
「私はかわいそうだ」と言う考えが少しでも頭に霞んだら、本当に救いようもなく「かわいそう」な状況を作り出しますから、自己憐憫は絶対に避けて欲しいと思います。
絶対にです。