アルコール依存症を愛せないあなたへ
夫もしくは妻がアルコール依存症で、大変な状況にいて、
夫もしくは妻を愛せないあなたへ。
「夫もしくは妻がアルコール依存症で、ものすごい問題があるから、愛せない。
そして、問題が起きるたびに、ますます愛せなくなる。
相手は愛して欲しい、かまって欲しいと言う。でも、もう私は疲れた。」
こう思ったことありますか?
Noutiはあります。
NoutiはAだからB。BだからCがずっと正しいと思っていました。
でも、この考えでいても5年間何も変わりませんでした。
そこで「アルコール依存症(酔っ払いの時)の考え」を考えてみました。
主語はアルコール依存症の当事者です。
「夫もしくは妻は自分にあまり関心を持ってくれない。
唯一持ってくれる時は、私が問題行動を起こした時だ。
この時は、夫もしくは妻はいつまでも自分を攻撃してくれる。
痛みはあるけれど、無視されるよりはましだ。
だから、私は問題を起こし続ける。
アルコールを飲まず、まともな生活を始めたら、夫もしくは妻は自分に関心を持たないだろう。
なぜなら、そもそも彼らは最初から自分にそこまで関心がないし、愛していないからだ。」
・・・。
自分の存在が認められない人間は、極端に良いことをするか、極端に悪いことをするか、何かをして、相手との関わりを持とうとするそうです。
「アルコール依存症だから、愛せない。」の文章は、もしかしたら一部には嘘があって、真実は、「愛さないから、アルコール依存症であり続ける。」かもしれません。
でも、ここで愛するっていうことは、助けることともまた違います。それでは共依存です。
ここでいう愛するは、存在を認め、敬意を払うこと・・・だと思います。
損得勘定がある人間はこの「存在を認め、敬意を払うこと・・・」をなかなかすることができません。
アルコール依存症が自分にとって有害であると思う以上、存在を認めることも、敬意を払う必要もないと無意識に考えてしまうからです。
そして、もし、そうなら、結婚した理由は、夫もしくは妻を愛しているからではなく、自分にとってそれなりのメリットがあり、得があり、その得の部分に惹かれただけ。
かも。
今、アルコール依存症という問題が顕在化していることで、「損」が明らかになり、対抗しているのかもしれません。
元々、結婚に最初から清い愛などなく、ただの自己中心だけが先行していたのかもしれません。
真実を見ることは時に辛いですが、別にだからと言って、離婚する必要も別居する必要も全くないと思います。
人間誰でも完璧ではないので。
そして、自分だけでなく、相手も多かれ少なかれそういう点があったかもしれません。
だから、別に過去がどうであれ、損得にだけ動かされていた、自分の弱さを認め、これから改めていけばいいのだと思います。
今とこの先しか生きられないのだから。
唯一、確かだと思うことは、どれだけ問題を抱えているアルコール依存症の当事者も愛されるべき価値のある人間です。
これが否定されるなら、脳性麻痺で生まれた人間や半身不随、統合失調症、ガンあらゆる病に苦しんでいる人間は愛されるべき価値のないというのと同じになってしまいます。
もしそうなると、旧優生保護法的な考え方だし、ナチス的な考えです。
悪ですね。
あなたがアルコール依存症を愛することを放棄しても、他の誰かによってアルコール依存症者は愛される必要があるし、あなたがその任務を放棄するなら、代替によって、彼らは守られるはず。
それはおいておいて、自分自身が、アルコール依存症を愛せないのは、相手がアルコール依存症だからではなく、ただ自分が愛のない人間だから。
それを認めることはすごく大きな一歩だと思います。
Noutiは本当に自己中心で、愛のない人間です。
でも、変わりたいと思っています。