脅迫的飲酒
アルコール依存症は、
脅迫的飲酒
という病気のようですが、
アルコール依存症でないNoutiは、
その言葉の意味をあまり深くは分かっていません。
でも、アルコール依存症者は少なくとも、
何かに苦しんでいます。
そして、
自分を苦しめるものから逃れられない
という状態に陥っています。
元々飲酒を始めたのは、
些細なきっかけかもしれません。
職場のストレスや家族との不和や、
将来や自分の存在価値に対する漠然とした不安や、
恐れや後悔など・・・。
当事者ですらわかっていない、
複雑な要因がきっと絡んでいます。
まずは、そういう
苦しみ
から逃れられなかった。
自分の心がうまく浄化作用として働いてくれなかったのか、自分を苦しめ、逃げ道を探さざるえないほどに、追い詰められたということ。
そして、アルコール依存症になってからは、
アルコールの耐性がしっかりついてしまって、
アルコールを飲んで、
転んで、傷ついて、ボロボロになっているのに、やめられない
という依存に陥ってしまったこと。
アルコール依存は、毎日の生活を傷つけて、
結果的には自分を苦しめてしまうのに、
そのアルコールから
逃れられない・・・。
本人の気持ちは深くはわからないけれど、
やめたくてもやめられないという
見た目には、はっきりとは見えない
激しい葛藤なんだと思います。
アルコール依存症の飲酒量が増えることは、
その葛藤も増えていることを意味し、
逃れなくてはいけないものが、増えれば増えるほど、益々アルコールも増える。
そして、アルコールが増えるから、症状も進行し、益々現実の中で問題がでてきて、逃れなくてはいけないものも増える。
このサイクルを繰り返してしまっています。
家族にできることは、少なくとも、自分の言動と態度が、アルコール依存症者にとっての、
「逃れなくてはいけないもの」
とはならないようにすること。
自分が、アルコール依存症の人に向かって、
放つ言葉、
接する態度、
を変えていく。
ただし、
見返りは求めない。
これがすごく重要です。
ちなみに、自分が放つ言葉、接する態度を変えたからといって、アルコールがピタリと留まることはまずないです。
なぜなら、
要因は自分だけじゃないから。
要因は自分だけじゃなくて、他にもいる…
ではなくて、一番の要因は
アルコール依存症本人
。
もしかしたら、
家族が放つ言葉、態度を改めていくことによって、
色々と周りのせいにしたり、
環境のせいにしたりしながら、
逃げてきたアルコール依存症本人が、
やっぱり問題は自分だ
と気づくかもしれないです。
否認の病気って言われているから、
もし気づけただけでも、万々歳です。