アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

「手から離す」ことについて

アルコール依存症の問題は、家族にとっては、大きな問題です。

 

回復するかもしないかも、相手が取り組むこと、

しっかり切り分けるのは、難しいものがあります。

 

Noutiは、アルコール依存症という大きな病気に対して、

なかなか「手から離して神に委ねる」ことができませんでした。

 

Nouti自身が、アルコール依存症のために、何かしても、

どうにもならないことは、「心」ではわかっていても、

「頭」はいつも、何か焦燥感に駆られていました。

 

Noutiがしていた最大の誤った考え方は、

「手から離す」ということは、

「何もしない」ということと同義だ

と捉えていたことです。

 

Noutiのようなコントロール癖の強い人間にとって、

「何もしない」ということは、死ぬほどに難しいことで、

他人の問題は、他人の問題だからと、しっかり境界線を持って、

「手から離す」ことにものすごい抵抗を感じていました。

 

ただ、こうした自分の解釈と理解は、

実は随分と間違っていて、

「手から離す」=「何もしない」

はとんでもない誤解だったと気づきました。

 

「手から離す」ということは、

言葉通り、

他人の問題から手を離す

いうことです。

 

文字でこうやって、

他人の問題から手を離す

と見ると、ものすごい解放感があります。

 

他人の問題から、手を離すとどういうことが起きるかと言ったら、

両手が空くんですね。

 

その両手を使って、今度は何をするかといったら、

自分ごとをするんです。

 

Noutiの場合、そこには、音楽が入りました。

楽器が入りました。運動が入りました。仕事が入りました。

友人との交流が入りました。

 

空いた両手を使って、

「本当はやりたいな〜。」

って思っていたこと、

「いつかはやれたらな〜。」

と思っていたことが少しずつ始まっていきました。

 

アルコール依存症の問題から、

「手から離す」ということは、

ちゃんと自分ごとに手をつけることと同義語です。

 

逆に、

「手から離す」ことができないならば、

いつまで経っても、自分の人生をスタートできません。

 

「手から離す」という言葉に、恐怖すら感じ、

「手から離す」という行為に敗北感と、絶望すら感じていたNoutiに、

全く違った光を見せてくれ、

「手から離す」ことによって、自分の人生を徐々に取り戻していけていることに、

感謝です。