アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

弱さゆえの優越感

今となっては、とても愚かなことだったと思いますが、私は他人に対して、支配的になることによって、他人を自分の思い通りにしようとすることによって、また、他人を抑圧することによって、自分が優越感を感じ、その優越感は、少なくとも、私は劣っていないと思える材料と変わり、心の平安を持とうとしていたと思います。

 

薄々、自分の中に、とてつもない大きな劣等感があって、しかもそれは本来全く持つ必要もない劣等感であったのに、自分を好きになれず、自分が自分に良い評価をできず、自分を大事にできず、人からの評価によってのみ、自分の価値を再確認していたようなとても依存的な人間だったから、劣等感は絶えず私の友人となって、私についてきていました。

 

今思うことは、自分の中にどっしりと居座っていた劣等感を、抱き続けてしまうという弱さ故に、必死こいて、優越感を得ようとしていて、それが間違った方向に働く時は、夫のみならず、あらゆる人に対してどこか支配的になり、立場的な事情等で、支配的になれない時は、心の中でジャッジして、人を裁いて、せめて自分は間違っていない、相手が間違っているのだという決着をつけることで、心の安心を得ようとしていたと思います。

 

当然、そんな安心は、偽りの安心であり、真の心の平安をもたらすはずがなく、結局は自分を傷つけてしまい、満たされない自分というものを更に助長するものでしかなかったなと思います。

 

弱いということを意地を張って認めたくなかった時は、自分をなかなか好きになれず、好きになるための努力(成果とか、成功とか、見た目とか)をしていたけれど、弱さを受け入れ、その弱さも、ちゃんと否定せずに受け入れてあげた時、自分に対して、自由を与え、ありのままの自分をちゃんと肯定する優しさを持つことができました。

 

自分を好きになるためには、何かをするではなくて、むしろ何かを手放す、ありのままの自分を、その思いをちゃんと受け止めてあげる・・・誰にも理解できないような思いや葛藤があっても、少なくとも自分だけはちゃんと受け止めて、理解してあげる。自分は自分の味方でいてあげる。

 

今は、そんなことが少しずつできるようになり、自分を大切にすることは、自分の身の回りのものを大切にすることにつながり、自分の時間を大切にすることにつながり、自分の周りの人を大切にすることにつながっていきました。