自分が自分であることに
アルコール依存症という、コントロール不可能な病気と、向き合う中で、私は本当に自分の幸せを他人に依存して得ようとしていたということに気付かされました。
何を求めている?
何を望んでいる?
と自分に問いかけたときに、
秒で出てくる心の反応は、夫の名前が主語になっていました。
夫が・・・になること。
そう思う自分を、とても献身的で、美しいことくらいに思っている自分があったと思います。
自己犠牲的、殉教者的、自分を差し置いて、まず他人を・・・みたいな思い、でもそれは、そうでもしなくては自分の価値を感じられない、自分というものが全然持てていない自分だったんですね。
今でも、ふと何を望んでいるのだろう?
と考えた時に、
夫が・・・
と、第3者を主語にしてしまいそうになることがあります。
ノートに書いたときは、すぐにその主語を消して、
私は・・・
に変えます。
自分が望んでいることは、やっぱり自分が主語でないと。
自分が幸せになること、
それは、夫の幸せに依存するものではないんです。
もちろん、夫の幸せは嬉しいです。
喜んでいいんです。幸せを感じていいんです。
でも、自分は自分であることに、まず幸せを感じる
まずはこれがすっごく大切なことだと思います。