反応的な生き方を改める
アルコール依存症とかかわる中で、鍛えたい筋肉というか、この考えがすごく大切だなと思うことが、
「他人がすることによって、自分が不安定になることを、自分で受け入れない」
ということです。
要は、「反応的」にならないということです。
他人の信号が赤信号になっていても、自分の信号が青信号なら、進む。
他人に影響されるな
他人に振り回されるな
ということです。
言葉でいうのは、すごく簡単だけど、実際に実践するのはすごく難しいことがあります。
配偶者関係の場合は、夫は私にとって生活環境を共にするパートナーです。
同じ家に住みます。
同じ冷蔵庫を共有します。
同じ洗濯機を使い、
同じ玄関から出入りするんです。
夫の帰宅時間は、私に影響を与えるし、
夫の起床時間は、私に影響与えます。
これは、事実です。
どう考えても、夫の行動は、私に影響を与えます。
同時に、同じ分だけ、私の行動は、夫に影響を与えます。
夫婦とはそんな関係です。
だから、他人がすることは、やはり、私には影響を与えるんです。
でも、最初の言葉、
「他人がすることによって、自分が不安定になることを、自分で受け入れない」
については、これは、私が「どう感じるか」という話しです。
私の心の領域まで、踏み込むことは誰もできないというのは、またそれもそれで事実です。
私は、ナチスの収容所で、生き抜いた人のことを思います。どれだけ劣悪な環境でも、心の中では、心から戦争を憎み、妥協せず、生き延びることに希望を抱いた人もいました。
心の中でそう思うことを、ドイツ軍の兵隊は、決して阻止することはできないんです。
究極の自由が、心にはあるなと思います。
「どう感じるか」は、絶対に他人が踏み込めない領域なのです。
でも、私は弱かったです。今もまだまだ弱い自分がいます。
とても反応しちゃうんです。
相手が怒っているなら、自分も怒る。
相手が傷つけてきたら、自分も傷つける。
「他人がすることによって、自分が不安定になることを、自分で積極的に受け入れていた」ように思います。
でも、その生活はとても疲れました。
そして、十分すぎるほど、もうやりました。
これからもやり続ける必要はどこにもないし、第一、それは私を苦しめるだけです。
自ら、自分を苦しみに持っていく、「反応的」な生き方から、少しずつ離れていきたいと思います。
反応しそうになった時、一歩立ち止まり、自分は「不安定」を積極的に受け入れようとしていないか、思いを巡らしたいと思います。