見て見ぬふりをする
他人の問題を見たときに、
口を閉じられるか、閉じられないか、
ということは、関係性において、とても大きな分かれ道だと思います。
私の中にずっとあったものとして、
「見て見ぬ振りができない」
というものがありました。
衝動にも近いもので、問題を見た以上は、
何らかの形で、言葉にしないと気が済まないという思いがあったのです。
それは偽りの正義感のようなものだったかもしれません。
なぜ偽りというかというと、結局は、他人の問題を指摘して、
自分の同じような問題は見ずして、他人を責めて、
結局は人間関係を破壊するような道に繋げていたからです。
そこに平和はなく、破壊でした。
私は、
「見て見ぬ振りができる」
ようになったことは、大きな成長の一歩だと思います。
それは、問題を許容するという意味でなく、
他人が問題を持つことを受け入れるということです。
そして、問題を取り除くのは私ではないと受け入れることです。
飲まなくなった夫に対して、
もちろん、いまだに、「できればやめてほしいな」と思うことは、まだまだあります。
でも、それを列挙して、
問題視して、
議論のテーブルに上げることは、
私の仕事ではありません。
夫がそれらの問題とも向き合える一人の人間であることを、
もっと尊重したいですし、
夫にも神様がついていて、良い方向に導かれるという思いを持つことを選びたいと思います。