過去に執着して苦しんでいた2、3日
過去を受け入れられない、
というのは、本当に非生産的で、
本当に意味がない
ことだと思いつつも、そう簡単に切り離せない日が2、3日続きました。
でも、2、3日で、今こうして回復しているから、まあまあいいかなと思っています。
昔だったら、1週間くらいかかっていたかもしれません。
2、3日も今はそれなりに長い時間だと思うので、
できれば1日、いやもっというなら、数時間で回復したいなんて思っちゃうけれど、
でも、これは時間じゃなくて、結局、その過去に対する出来事の解釈の重さに比例するんだから、まあ、仕方ないことでもあるなと思います。
そう考えると、結局はその時その時での私の解釈を軽くすることが、鍵になってくるのかなと思います。
私は、非常に極端なことを考えることがあって、この極端というのは、メンタルの安定には邪魔者にもなり得て、白、黒、丸かバツか、プラスか、マイナスか、あるかなしか・・・
そんな感じで考えてしまうんですね。
結婚か離婚か・・・のように。
間に実はいっぱいの選択肢があるということが見えてないんですね。極端思考になっているときは。
結局解釈についても、同じことが言えるんだろうなと思います。
過去にこだわっていた2、3日・・・
私の中の思考は、
過去、あのとき、(夫が)ちゃんとやっていれば、今、こんなことにならずに済んだのに
もうその1点張りでした。ちなみに主語、夫ですよ。もう他人のことになっちゃってるんです。
もうこういう思考しか、なかったと言っていいほどに、これしか考えていなかったと思います。
もう、それが絶対でした。
でも、どうなんだろうなと思います。なぜなら、経験してきた過去以外、存在しないわけですし、経験してきた過去があっての今で、過去が違うと今の自分が違うわけで、そうなると自分がどこにいるかも、何をしているかも分からないわけで、
その分からない自分のことを、まるで分かったように、過去こうしていれば今はこうだったって、断言するのって、どうなんだろうと単純に思うわけです。
あとは、2、3日経って、これで全ていいいう思いも同時に芽生えてきたことです。
色々あったけれど、過去こうしたかったという思いも確かにあるけれど、それでいい、その思いを抱えている今でいい、その今から作っていけばいいという気持ちもあるんです。
それも含めての自分だと、そういうふうに考えられる自分になったのも、この過去への執着から、切り離せる大きなきっかけだったかなと思いました。
具体的に何のことかと、ここでつらつら書いても、他の人にとってはどうでもいい内容ではあるので、避けますけれど、ただ、この2、3日を通じて、
変えられない過去という得体のしれないものを相手に、2、3日苦しんだ
ということです。
そして、それで良かったと思います。ちょっと、過去に対する見方も変わったし、後悔しないように生きていこうなんてことはあんまり考えず、今自分ができることと、できないこと切り離して、できないことはもう神様に委ねる・・・
そして、できることでベストを尽くす・・・
その生き方で徹底していきたいなと改めて思わされました。
もがきや葛藤はやはり苦しいですけれど、何か大きな学びを残してくれるものだなと思います。
それを掴み取るかは、私の自由なので、今日は、ちゃんと掴み取って、これからに活かしていきたいと思います。