夫が断酒しているから、平安なのか
今年になってからの、ブログの記事は、調子のいいことを書いているなと思います。色々な考えが浮かび、色々な思いを言葉にしてきましたが、正直心の中で、それも何も、
「結局、夫が飲んでないからでしょう!!!」
という思いがちらつきます。
何やかんや言って、夫が飲んでないから、穏やかなんでしょう、夫が飲んでないから、平常心なんでしょうと言われれば、
確かにそうだと思います。
私の平安の源が、夫の断酒に、あるかないかといえば、あると思います。でも、一方で、それだけじゃないと言いたい自分もいるんですね。
どうしてそう思うかというと、夫の断酒に、自分の平安を委ねたくないという思いだと思います。
そして、断酒という、非常にあてにならない、壊れやすいものに、自分人生を委ねたくないという思いだと思います。
神様には頼るけれど、藁には頼りたくないのように、人に頼っている、人の状況に頼っているというのは、非常に不安定で、何だか頼りない感じがするんです。
それが、自分の気持ちです。
だから、自分の心の落ち着き、平安は、夫から来ているものじゃない、私自身の内側から来ているのだ!
と思いたい、信じたい自分がいるんだなと思います。
まあ、今自分が何に頼って、何によって心が平安であるかは、目に見えないものなので、はっきりとは分かりません。
ただわかることは、今の自分は、100%、自分より偉大な力、神様に頼って、だから穏やかなんですとは言えない自分であるということだけは、はっきりしているなと思います。
そして、本当に自分を明け渡していく、自分を委ねていくなんてことは、おそらく、人生をかけてやっていくものであって、今日、明日、来年、再来年、そんな話で、何か全て明け渡したような、達観した人生を得られるなんてそんな甘っちょろいものではないと思います。
だから、今言えることは、私は素直に、夫の断酒が非常に嬉しいということ、そして、かなりの部分、その断酒の状態に、助けられているということ、そして、私もその環境の中で、少しずつ余裕ができていること、今いるステージはここです。
これから先、どうなるか分からないし、自分の人生がどう動いていくかも分からないですが、少なくとも私は、自分に正直であるということだけは、徹底して、大切にしたいと心から願います。
それが私にとっては、自分を一番大事にすることだからです。
自分が思っている気持ちをこのブログでは、素直に、正直に書き続けていきたいと思います。