アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

アルコール依存症の人を信じられない理由

アルコール依存症の人を信じられない理由。

 

たとえ、断酒が始まろうが、

たとえ、入院しようが、

たとえ、本人が気持ちを切り替えて、生活習慣を見直そうが、

たとえ、本人の気持ちに変化が見えようが、

 

 

アルコール依存症の人が信じられない理由。

 

それは、

信じた先の見返り

を求めているから。

 

アルコール依存症の家族にとって、

 

信じる

 

ということは、とっても大変なことです。

 

言葉自体は、すごくいい言葉ですが。

 

なぜ大変かというと、

「信じる」行為が、まるで意味をなさない

かのように、何度も、何度も

 

裏切られてきた

 

から。

 

その原因は、様々だったけれど、とにかく、

 

裏切られてきた。

 

つまり、信じたとおりにはならなかった。

そもそも、「信じる」から「裏切り」が生じてきた。

 

こんなことを、これでもかというほど経験してくると、

 

信じる

 

ことに対して、かなり疑いを持つようになります。

 

なぜなら、一番つらいのが、

信じてそのとおりにならないこと。

 

つまり、信じていた時間、

期待していた時間、

少し希望を抱いていた時間が、

 

水の泡のようにはじける瞬間が、

かなり辛くて、そんな痛みを抱えるくらいなら、

 

最初から信じたくない

 

と思うわけです。

 

で、ここでいう見返りが、

 

信じた先にある、理想の状況

 

です。

 

キラキラしている世界です。

 

これが見返り。

 

この見返りが確約されていない中で、

 

信じる

 

という行為は、壮絶に苦しく、そう簡単には、何度も繰り返えせるものではないのです。

 

だから、家族は、

 

信じる

 

ことをあえて、やめようとします。

 

しかも、信じたいのに信じられないなどと、

葛藤しながら信じることを「一生懸命」手放そうとしたりもします。

 

その結果が、

断酒を始めようが、

AAに行こうが、

 

どうせ無理だよ!

 

みたいな態度です。

 

自分の脳内で、

 

期待するな!

 

ということを、暗示させることによって、なんとか自分が、

 

傷つかない

 

ようにしているんですね。

 

 

結局は、

 

アルコール依存症の本人がどうなるか

 

が最大の関心であり、

 

そして、それによって自分の心を満たそうとしているのであり、

 

変えられない他人の変化に一喜一憂しているんですね。

 

 

本当に手放さなくてはいけないのは、

 

「信じる」「信じない」

 

の部分ではなくて、

 

他人に対して抱く理想の状況

 

の部分です。

 

だって、これさえなければ、

そもそも、

 

他人を信じる

 

というわけのわからない日本語が成立しないはずです。

 

「他人」は「他人」であって、

そもそも信じる、信じないの対象じゃないということ。

 

神様じゃないんだから。

自分じゃないんだから。

 

 

元をたどれば、

信じるべき対象じゃないものに、変な「信仰」を抱くから、

おかしなことになってきているんです。

 

神様(大きな力)を信じる。

自分を信じる。

 

でも、他人は他人です。

自分が相手のことを信じようが信じまいが、他人は他人の人生を生きます。

 

 

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