自殺未遂しても飲みます
こんにちは。noutiです。
また新しい1週間が始まりました。西日本豪雨が大変な状況になっていると知りました。
それでも、静かに時は流れていきます。
できることは、「今」いる場所で、「今」に集中して、「今」に一生懸命生きることです。
今回は過激なタイトルでごめんなさい。
伝えたいのは、自殺のことではなくて、アルコール依存症に対する家族側の考え方です。
アルコール依存症は病気・・・わかっているけれど、やっぱり病気
アルコール依存症と日々接する中で、どうしても理解できないのが、これが病気だということ。
アルコール依存症って、言い換えれば精神病です。他の人はどういうかわからないけれど、私ははっきりそう断言したい。
心の病気。もしくは脳の病気とも言えるかも。
正直、心か脳かどちらかははっきりわからないけれど(わからないこと多くてごめんなさい)、とにかく思考、感情部分がものすごく壊れてしまっていると言うイメージで間違いはないです。
アルコール依存症の人が飲むのは「飲みたい!」という気持ちではないです。
おそらく、飲みたい、飲みたい、お酒大好きと言っている場合はただの呑んだくれか、アル中。
でも、アルコール依存症は病気。
何が違うかというと、「飲まざるをえない」と言う強迫観念に駆られているということです。
正常の精神は基本何をするにも自由があって選択しています。
もしかしたら仕事が嫌いかもしれないけれど、クビになりたくないから、とりあえず仕事をしているとしても・・・そこにはちゃんと自由があります。
でも、起きた途端にものすごい背中を押されるように、会社にいかざるをえない強制的な力、強迫感情が湧いてきて、会社にいかないといてもたってもいられない・・・もしこうなったら。
違いはこんなイメージです。
そして、後者は病気。
強制的なんです。
何かの奴隷になっている状態。囚われているようなもの。
アルコール依存症は、アルコールを摂取しなきゃいけないという強迫観念を持っています。摂取せざるをえない。コントロールが効かない。意志が働かない・・・表現はなんでもいいです。
とにかく、アルコールを飲まないと生きていけない、飲まないことによって経験するその苦痛と向き合っていけない・・・と言う状態なんです。
だから、私たち周りにいる者は、間違っても「あなたさえ飲まなければいいのよ。」的な本人の意志が問題かのように取り扱ってはいけません。
アルコール依存症の家族の中に潜む罠
「あなたさえ飲まなければ・・・」的に、本人の意志の問題を過信し始めると、色々なことがおかしくなってくきます。
例えば、「こんなに飲まないでほしいと言っているのに、飲むなんて、やっぱり私を愛していない・・・離婚しよう。」とか、
「それほど私があなたが飲むことによって苦しんでいるのか、本人はわかっていないのではないか・・・。」とか。
こうしたことがエスカレートすると、ますます、病気を病気として捉えるんじゃなくて、本人が「好き好んで」お酒を飲むという選択をしているかのように(そうじゃないとは分かっているけれど)、錯覚してしまうんです。
そして、間違いなく、こういう見方を続けると、お酒に対する憎悪=飲んでいる本人に対する憎悪が大きくなります。
アルコール依存症の本人は、お酒を「好き好んで」飲んでいません。(たとえ、そう見えても。たとえ、最初はそうであったとしても。)
でも、難しいのは、どう見ても、前から見ても、後ろから見ても、横から見ても、斜めから見ても、「好き好んで」飲んでいるかのように見えてしまうということ。
もしくは、たとえ「好き好んで」ではなくても、「自らの意志」で飲んでいるかのように見えてしまうということ。(だって、買って、蓋を開けて飲んでいるわけだから・・・)
これが厄介です。そういう風に見えちゃうから、どれだけ人から「病気なんだよ!」と言われたり、「自分自身でも、そうだ、病気なんだ!」って納得しようとしても、見かけがそのように見えません。
これが罠。
罠です。
これが普通の病気と違うところです。
他の病気だったら・・・。
例えば癌なら癌で、体が動かなくなるとか、寝たきりになるとか・・・。明らかな肉体的な不都合が目に見えてわかります。
私たちはそれを見ると同情し、助けたいと思うかもしれません。
でも、アルコール依存症の病気の場合、(最終的には肉体に大きなダメージがいくものの)、精神的な症状がはるかに大きく出てきます。
暴言、不規則な生活、鬱状態、理不尽な言動、過剰な敏感・・・などなど。
(こうして、列挙すると、改めて嫌ですね!)
症状が本人の身体に留まるのではなく、精神状態に出てくるから、それと関わる人は、風邪みたいに、みんな簡単に感染しちゃいます。(影響を受けます。)
そうやって、感染して、影響を受けさせるように、家族の思考にまでじわりじわりと迫ってきて、家族を最悪な気分にさせる・・・これが罠にはまった証拠です。
アルコール依存症の病魔のゴールは破壊
「なんで私がこんな苦しい思いをしなきゃいけないの?」と思っている人は、アルコール依存症は本人の病気であり、あなたが原因では全くないことを知ってほしいです。
恐らく、知っても、「いやでも、過去のあれが・・・」って出てくるので、はっきり断言します。
あなたが「自分の原因かも・・・」と思って、苦しんでいること自体、アルコール依存症の病魔があなたに感染している証拠です。
この病気は、精神的な病気なので、私たちの精神もおかしくなればなるほど、アルコール依存症の病気はかなりエスカレートします。
更に、どんどん周りを巻き込みます。
「私がどれだけ苦しんでいるか分かれば、飲むのをやめてくれるのではないか・・・」(だって、彼は私のことを愛してくれているから。)的な発想の行動は悪です。
その発想が悪なのではなく(そういう気持ちになるのは普通!)、その発想から派生した行動がアルコール依存症を更に「最悪な状態に」に持っていくから、悪です。
苦しんでいることをアピールしたり、泣いたり、わめいたり、脅したり、自殺したくなったり、もしくは本当に自殺しようとして、実際にベランダに立っても・・・、
その瞬間、もしかしたらアルコール依存症の本人は、慌てふためいたり、謝るかもしれませんが(もしくは更に怒り狂うかもしれませんが)そのあと、更に飲む量が加速します。
もう一度書きます。
そのあと、更に飲む量が加速します。
アルコール依存症の病気って、飲んでいる本人は、もう「自分大っ嫌い」な状態になっているんです。完全な自己嫌悪です。
なのに、「そんな自分」が理由であなたが自殺でもしようとしたら、間違いなく「やっぱり自分って最低。嫌う理由がある。」と正当化できて、更にお酒を飲んで、痛みを隠すんです。
だから、苦しんでいるアピール、それと似たようなどんな行動も、効力は持ちません。それどころか、最悪を呼び起こすだけです。
私も自殺したくなったことありました。
寸前までいきそうになったこともありました。
でも、今ははっきり断言できます。
それこそ、完全にアルコール依存症の病魔の思う壺です。
罠に注意してください。
絶望のように見えて・・・ 大丈夫。時間は流れているから。
いいか悪いかはさておき、"絶望"も停止していないんです。