アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

飲んでいることをチェックしたらダメ

こんにちは。noutiです。

 

しばらく家を空けていて、久しぶりに夫のいる家に戻りました。

今でこそなくなったものの、昔、帰宅後によくやっていたことは、チェックでした。

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チェック・・・夫の飲んでいる量、どこかに飲んだ後を隠していないか、何を飲んでいるかなど。

 

結局、私はいつもどこかで「期待」していました。

「今日こそ、やめてくれるんじゃないか」・・・とか、「いない間に、何かが変わっているんじゃないか・・・」と。

その想いが、実現しているのかしていないのか、チェックによって明らかにしたかったのだと思います。

 

だから、家に久しぶりに戻った時、どこかに空瓶がないかとか、隠してないかとか、無意識に探していたようです。

 

半分無意識。半分意識的です。

 

でも、これ、ほとんど「自虐行為」です。

アルコールを探そうとする神経は、私が完全に、アルコール支配されていて、弱気になっていて、この病気に対して、未だに、「私が何かできることがあるかもしれない」と思っている証拠でした。

 

親が子の問題をを見るかのように。

よくないところを探して注意する先生のように。

 

アルコール依存症者に対するこの行為、完全NGです。

 

普通に考えて、アルコール依存症の家族がアルコールを見つけ出して、「ハッピー」になるわけがないし、見つけ出したら、ため息が出ます。

 

それでも見つけ出そうとする心理は、もちろん、飲んでいないでほしいという期待反面、どこかで「あなたがやっていること、私は全部知っているのよ。隠しても無駄よ。」的な、どこか上から目線のところもあったように思います。

「そんなことしても、私はわかっているんだからねー」って。

意識してようがしてまいが。

 

そうやってちょっとアルコール依存症という病気に対して、上位に立とうとすることによって、自分の存在とか行為を正当化したかっただけです。

 

もしくは、たとえそんな魂胆がなくても、単純に、「あなたがしていること全部知りたい」的な発想もあると思います。それによっては私も立場を変えるし、あなたとの接し方を変えるし・・・のような。ここまでくると駆け引きです。飲んでるなら、こっちも態度変えるのように・・・。いずれにせよ、めちゃくちゃアルコールに影響されてしまっています。

 

そして、これも結局、どこか上から目線です。

 

あとは、やっぱり、本音では「病気が治って欲しい!」と思っているから、チェックすることによって、今の進捗を管理したいだけかもしれません。

 

私自身、チェックに躍起になって、目を光らせている時は、全然、こんな考察してませんでしたが、私の場合、今ここで書いたような気持ち、どこかで全部持っていたような気がします。

 

大体、チェックとか管理とか言っている時点で・・・、もう「上から」なんです。

 

ストレートに書けば、私が「自分の思い通り」にならないことに苛立ち、「自分の思い通り」にならない存在がする行為を、チェックし、管理することで、本人をしつけし、「自分の思い通り」に導こうとする行為です。

 

究極の自己中です。

 

と言うか、もはや「私って何様?」状態です。だって、基準は「自分の思い通り」だから。

相手がアルコール依存症だからって、その人と比べて私が人間的に優れているとか、私は正しいのにとか思っている時点で、もうアルコール依存症を病気と捉えられていない証拠だし、そもそもそういう考え方自体、私の精神が非常に傲慢で、自己中です。

 

アルコール依存症を根っこから「病気」と理解できていないから、こういうことになってしまいます。

 

家族がガンになった時、自分の力でどうにかしようとする人いる?

ガンになった事を本人に向かって怒る人いる?

医者でもないのに、こうすれば治るんだよと、相手の行動を管理し、チェックする人いる?

 

もしいたら、そんな人、かなりの愚か者ってすぐわかります。

 

なのに、アルコール依存症と言う病気に対しては、同じようなことしているわけです。

 

ガンだったら、すぐにお医者さんに任せるように、
アルコール依存症に対しては、「私」は無力なことを知り、正しい知識をえて、本人の回復を邪魔せず、必要な援助を求めることです。

 

このことに気づかず、いつまでの自分でチェックして、管理していると、本当に苦しむことになるし、気づかずして、アルコール依存症の進行を加担することにもなっています。

 

自分自身も苦しい上に、病気の回復を妨げるように一生懸命努力していたって、本当に開いた口が塞がらないほどナンセンスな事です。

 

アルコール依存症の本人は、私たち非アルコール依存症者が理解しがたいほど、

十分に自責の念に苦しんでいます。これを認めたくないのは、結局、その人のエゴです。

 

そして、毎回、毎回、飲むという行為を通じて、自分がアルコールという強迫に負けて、アルコールに人生を明け渡してしまっていることも、どこかではわかっています。

 

でも、こんな事、本人にとって、情けなさすぎて、情けなさすぎて、認めるに耐えないんです。

 

それなのに、私たちが更にチェックしたり、管理したりする事は、ますます「あなたって、心底情けない人間だね・・・」という事を明確にしているようなもので、益々お酒を飲んで、その苦痛を和らげる動機になります。

 

だから、アルコール依存症に対するチェックは今すぐにやめるべきです。

やっている方も疲れるし、やられている方も、人間の尊厳を全く無視された精神的奴隷状態に簡単に向かわせます。

 

余裕があるなら、チェックじゃなくて、観察です。

でも、よくお医者さんは、家族に対して、観察してあげてくださいねなどの表現を使うらしいですが、私は、「観察」すら、よっぽど、この病気に対して知識を得て、経験を得ている人がようやくできる事と思います。

 

というのも観察は、レベルが上がればチェックになるから。

 

だから、あまり深く考えないで、最初は、「どうにでもなれ」でOKです。

 

把握しても、どうしようもならない事、

一日あたりどれだけ飲んでるか知っても、どうしようもならない事を、

知ろうとする、チェックする、探す、全部やめましょう。

 

諦めのように聞こえて、「どうにでもなれ」の方が、振り回されて、いつまでもチェックして苦しんでいるより、何倍もアルコール依存症の人の助けになります。