吐き出さずに、溜め込んでいる家族
夫のアルコール依存症のことについて、第三者と関わったのは、市の窓口と、家族会とAAでした。関わったと言っても、ほんのちょっとだけです。
でも、相談したから、話したから、良かった〜救われた〜みたいなのは、そんなにありませんでした。
アルコール依存症で苦しんでいる家族は、1人で抱え込まずに、周りの人に相談するようにとよく言われます。
でも、話したところで、相談したところで、Noutiみたいに全然気持ちが軽くならない人だってきっといると思います。
それは何でだったんだろう・・・って考えました。
今思うと、Noutiは、いつも「(言ったところで、話したところで)どうせ変わらないし〜」と思っていたのが根底にありました。
自分のこんな痛み誰がわかる!?💧
自分のこんな苦しみ誰がわかる!?💧
って自己憐憫に陥ってました。
だから、相談したところで、話したところで、言われたこと、全部跳ね返して、右から左にどこかスルーしていたと思います。
そういう意味では、Noutiの自己憐憫があまりにも大きくて、その結果ずっと『好んで』痛みを抱え込むことになってしまう構造になっていて、無駄に苦しんだな・・・と今になって思います。
人に相談したり、話を聞いてもらう時は、白旗を上げて、自分を空っぽにして、「聞く気」「助けてもらおうとする気」くらいで相談したり、話したりしないと、なかなか難しいですね。
特に、アルコール依存症の問題って恥とか見栄とか、どこまで言えるかとか、色々な感情も複雑に混ざるから余計に難しいんですよね。
今も、家族の問題っていうのは、なかなか表面化されず、内側に溜め込んでいる人、きっといっぱいいると思います。
でも、内側に溜め込んで、溜め込んで、苦しくなっても溜め込むと本当におかしくなっちゃうから、少しでも吐き出して、聞いてもらったり、助けてもらったりすることにもっとオープンになってほしいな〜と思います。
このNoutiブログも、ぜひ吐き出しの場所としてもに使っていただけたら嬉しく思います。コメント書いていただけたら、Noutiの励みにもなるので、感謝です!