「酔っ払いの戯言」について
アルコール依存症は酔っ払い中に問題行動を起こします。
突然に暴言を放つことがあります。
学校の先生がいたら、即座に叱り飛ばされるような汚い言葉を平気で吐くことがあります。
家族は、それなりに傷つきます。いくらアルコール依存症だから、病気だからとはいえ、暴言を本気で言われて、平静を維持するのは難しいです。
家族は言われたショックに反応的な行動として、
酔っ払っているから仕方ない・・・
アルコール依存症だから・・・
これが症状・・・
と起きていることを冷静に判断しようとします。
要は、受け入れないようにすると言うことを無意識にします。
できる限り、暴言の最中は、耳を右から左にして、あらゆる言葉を聞き流し、なかったことにします。
(ちなみに、アルコール依存症はこうした家族の態度に敏感なので、「聞いてくれてない」家族に対して、更に怒りを持つこともしばしばあります。)
日数を経て、じわりじわりと湧いてくる感情は、
なぜ、あんなことを言われなくてはならなかったのか?
と言う理不尽な扱いに対する憤りの感情です。
家族が一旦この感情を抱くと、依存症者の攻撃へ向かいます。
その結果、悲劇は再び繰り返されるのは時間の問題です。
・・・
もし、一度でも家族がその暴言を本気にしてみることは本当に価値のないことだろうか?と考えてみました。
「バカ!」
「お前のせいでこうなった!」
「お前のせいで治るものも治らない」
「世界で一番、最低の女」
なんでもいいですが、その暴言を本気で考えてみるんです。
「確かに・・・そうかもしれないって。」
一回だけ、飲んでみるんです。
その結果、起きることは2つに一つです。
一つは、
自暴自棄になり、自己憐憫に陥り、鬱になり、自殺したくなります。
もう一つは、
それでも変わりたい、成長したい、良くなりたい、まともになりたいです。(自分がです。)
どちらかが起きると思います。
2つに一つです。
確かに、一つ目になってしまうリスクはあるかもしれません。
でも、起きている現実と直面せず、2つ目を本気で求めるのはかなり難しいと思います。
現実は起きているのに、見て見ぬ振りをし続けるのは、長続きせず、本当の変化は起こせないと思うんです。
悔しいかもしれないけれど、悲しいかもしれないけれど、情けないかもしれないけれど、
それでも一度現実と向き合ってみる。
本当に現実を変えたいからこそ、現実を受け入れる。
勇気がいるけど、変化とはこういうことだと思います。