アルコール依存症が「辛い」と言ってきたら
アルコール依存症の接し方は、基本、鬱の人の接し方でいいと思います。
鬱の人に、「頑張れ!頑張れ!」って言うのは逆効果なように、
アルコール依存症に対しても、基本、応援スタンスは刺激的です。
でも、鬱病とは違うところがあります。
今回は、そのことについて書きたいです。
鬱病は心の病ですが、アルコール依存症の彼らたちは、アルコールをやめなきゃいけないんです。
そこが大きく違います。
彼らが弱音を吐いた時、心底、自分の不始末を嘆いている時、家族がとりがちな行動として、次のものがあると思います。
・彼が後悔している時に、彼を慰める。
・自分自身をそんなに哀れむな、と彼に言う。
Noutiはずっとこういう傾向がありました。
いつも、キレているくせに、一度、夫が落ち込むと、態度を変えて、慰めていたりしました。
鬱病の人に向かって、「そんなに頑張らなくていいよ!」は確かに効果的です。慰めも役に立つかもしれません。
でも、アルコール依存症は、やっぱりアルコールをやめていかなきゃいけないんです。これに例外はありません。やっぱりやめないと回復できないんです。
「そんなに頑張らなくてもいいよ!」なんて話じゃありません。
だから、「せっかく」落ち込んでいる時に、「せっかく」後悔している時に、慰めることは、NGだし、「せっかく」自分を哀れんでいる時に、哀れむなと言うこともNGです。
それをするなら、結局、家族は、落ち込んでも、後悔しても、哀れんでも、いいよ、いいよ、あなたは大丈夫だよ、そのままアルコール飲んでればいいよ!
って言ってるようなものです。
そうじゃない!!!
そこはぐっと耐える。かわいそうとか、そういう話じゃない。
慰めることが愛じゃない。彼が本気で落ち込んで、後悔して、哀れんでいるなら、そのありのままの姿を受け入れる。そのありのままの姿になる彼を受け入れる。試合場で、傷んで、血を流している彼に、本気で立ち上がって欲しいからこそ、血を流させる。歯を食いしばってでも、助けたい手を、抱きしめたい手を後ろで縛ってでも、彼の戦いを彼自身にさせる。
アルコールにおける、全責任を全て彼が引き受け、自ら立ち上がらせる。
本気で彼の自信を砕きたくないのなら、なおさらの事、応援席から、試合場にいくような真似をせず、どれだけ目の間で苦しんでいようが、絶対、こいつなら立ち上がれる!って心から信じて、応援席に座り続ける。
何でもかんでも助ければいいんじゃない。それは家族のエゴ。
人を本気で信じるってそういうこと。本気で放置する。それが、家族だからこそできる、応援の仕方だと思います。