アルコールには無力
とあるAAの冊子を読んでいたら、一つの体験談に目が留まりました。一部抜粋させていただきます。
苦しい中でも自分を探求しようとして取り組んできた哲学的、宗教的なこと、精神医学に関することなどは、その頃は決して身になりませんでした。
(抜粋元:BOX-916 2019年1月号 P17 )
この冊子は基本、AAすごい!って程で書かれた体験文を集めているので、恐らく、苦しい中でも色々やってきたことは役に立たなかったけれど、AAに出会えて、変われたってことを強調したいんだと思います。
Noutiも、この人に共感できる部分として、思ったことがあります。それは、心の隅に邪念みたいなもの「自分はできる!」みたいな驕り・・・がある中で何かをしようとしても、やっぱりうまくいかないんだなってことです。
何度かブログでも書いてきましたが、アルコール依存症の家族って、本当に、アルコールに対して、「降参」しなきゃいけないんですね。
もう、はっきり書きます。「降参」しなきゃいけないんです。「負け」を認めなきゃいけないんです。「白旗」あげなきゃいけないんです。
マジで、自分には、アルコールを相手にできることはない!って認めなきゃいけないんです。
で、そこから、自分のできることが見えてくる・・・っていう。
できないって認めてできるという・・・この矛盾というか、不思議なものが、あるなってすごく感じます。
何かのプロや一流も、できない、だからこそできるように、できないだからこそできるように・・・この繰り返しだと思うんです。
自分の力とか、才能とか、そういうものに驕り始めたら、絶対に腐っていくのがオチなんだと思います。
このAAも、有名な12ステップの1番目がまさにこれ。
「私たちはアルコールに対し無力であり、思いどおりに生きていかなくなっていたことを認めた。」
っていう・・・ここから始まるんですよ。
もうね、これ、完全に「降参」ですよ。「負け」「負け」「負け」。
アルコールを前に、自分はコントロール失っちゃっています!って言っているの。家族にとっても、依存症者本人にとっても同じこと。
本当にこれが原点。
スタート。
ここをもうね、骨の隅々にまで浸透させる。本当に、「自分じゃ何もできない!」って言うことを、これまでかってほどに叩きつけるの。自分の心にね。
これがスタート。
この謙虚さと、無力を認めて、大きな力に委ねていく、へりくだりの態度がなかったら、本当に無理。
本当に泥沼。
地獄。
もうね、本当に、自分の力で戦うのは苦しいから。
本当に。
自分の力まだ信じている時は、この人か書いているように、哲学的、宗教的なこと、精神医学に関することなど、色々学んでも本当に活きてこないの。
まだまだ、自分がありすぎるから。
自分、自分!ってなっちゃっているから。
自分をボキボキに折る。筋肉を作る過程みたいに、まずは折る。まずは壊す。それから立ち上がっていく。
アルコール依存症を前に、無力でなかったことを本当、認めよう。何度も何度も認めよう。去年認めたかもしれないけれど、今年もまた認めよう!
Noutiも認めます。無力です!