アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

いかなる時も平安を保つ

周りがどのような状況であれ、自分は動じず、心の平安を保つということは、絵に描いた餅、机上の空論、口先だけの綺麗事だと随分長く思っていました。

 

実際にそんな人がいるなら、見せてくれ。本当に悲惨な状況、地獄の真っ只中にいる中で、平安を保つなんて、できるわけがない・・・とどこか「できない」ことを必死に肯定しようとしている自分がいました。

 

でも、振り返ると、私は一生懸命に「火に油を注ぐ」ようなこと、もしくは「火消し」には随分と努力していたのに、「ただ状況を静観し、静まって待つ」ということは全く頭の中にない日々をずっと送ってきたなと思います。

 

大変な状況の中にいる時に、相手をなんとか変えようとしていました。自分の心が荒れ狂う状態で放つ言葉は、時にとても攻撃的で、嫌味臭く、高圧的で、上か目線で、支配的で、そこに優しさと平安は欠けていました。まさに、これが火に油を注ぎ、状況をもっと悪くさせました。

また今度は、とにかく改善しなくては良くならなくてはと、火消しに専念しようし、自分を変えること、相手を理解することに、極端に傾き、何とかしようとしているけれど、変わるスピードの遅さに苛立ち、空回りしていたと思います。

 

どっちも極端で、心の平安はすっかり奪われていました。

 

大切なことは、他人の状況をそのまま眺め、そこに裁きを入れたりせずに、相手のことをよく聞くこと、そして、その相手に少なからず影響を受けたとしても、自分にできることは何か、できないことは何か、この原点にもう一度立ち戻り、できることはしていくけれど、できないことは、信じて待つ、それだけかなと思います。

 

いかなる葛藤も不安も、できないことに手を出そうとしたときに、本来出してはいけない手を出そうとした時に起きてくるものかと思います。

 

手を引くということが、まるで、負けを認める、敗北感を認めるような挫折感が最初の頃は随分ついてきましたが、今は、自分の範疇じゃないことに、ちゃんと手を引き、静観することは、自分の人生を守るための豊かな知恵と心得ています。