アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

「病気だから仕方ない」という考え方について

私は、アルコール依存症の夫に対して、長い間、

「病気だから仕方ない」という考え方を持つことができませんでした。

 

アルコール依存症は病気だと知ってからも、そのような考え方を持つように対して、

頭では努力しましたが、腹に落とし込むことがなかなかできませんでした。

 

なぜ、それができなかったかというと、私が、この

「病気だから仕方ない」という考え方に対して、とてもネガティブな解釈をしていたからです。

 

私にとって、「病気だから仕方ない」という考え方は、

 

諦めであり、絶望であり、現状が良くならない

という意味でしかありませんでした。

 

これが私の解釈でした。

 

私の中には、絶えず、病気に勝たなくては、病気を乗り越えなくてはと思っていました。だから、「病気だから仕方ない」は受け入れられなかったんです。

 

でも、今は、「病気だから仕方ない」という考え方に対して、

 

相手を受け入れ、理解し、寄り添う気持ちにさせるものに変わりました。

 

私の解釈が変わったんです。

 

以前の私は、自分が、「病気だから仕方ない」とは思わないことによって、

現実、病気で苦しんでいる相手を、病気じゃないように思いたいだけでした。

 

つまり、結局は自分が思いたいように、相手になってほしいという願望を強く持っていただけでした。

 

相手が問題を抱えているのに、その相手の問題を、自分が見たくないから、

問題のない相手であってほしいと、自分の心の中で思おうとしているだけでした。

 

そして、そのような態度は、当然、相手にとっては負担になりました。私の目に見えない圧力が常に働くからです。

 

私は、自分が「病気だから仕方ない」とは思わないことを正当化するために、相手だって、病気でありたくないと思っていると言う事実を利用しました。

 

ただし、ここに大きな罠がありました。

 

病気でありたくないことと、事実、病気であることは違います。

夢と現実は違います。

 

もちろん、相手は病気ではありたくないけれど、事実、病気なのに、

周りの人からは病気と見られず、勝手に他者の理想像を常に当てはめられるのは、負担以外の何ものでもありません。

 

夫はアルコール依存症でした。

夫自身、否認していました。

 

でも、本人も薄々とは、自覚していました。

病院に入ってからは、毎日自覚する日々を歩んでいました。

 

一方、私はいつも夫を否認していました。

夫は自分自身のことを、30%はアルコール依存症かななんて思っていながらも、

70%否認しているのに、

 

私は、病気だから仕方ないという考え方を一切拒むことで、

100%否認していました。

 

やめてほしいなどど口では言いながら、病気を認めませんでした。

 

当事者ですら、否認する病気なのに、それでもって、身近な家族の人からも、否認されていたら、当の本人がやめるにやめられなくなるのが良くわかる気がします。

 

お酒をやめてほしいと泣き喚くことが、実は、病気を否定していて、そして、家族の病気を否認する態度が、当事者の否認をますます深めるなどとは、当時は全く思いませんでした。

 

病気だから仕方ないという態度は、受容だと思います。

つまり、現実をありのままに受け入れるということです。

 

私は現実に直面する勇気が本当になかった、だからいつも、生きていながら理想の中に生き、でも、実際に生きる環境は現実ですから、現実が理想と一致していないことに、ひどく葛藤していたのだと思います。

 

理想の中から出て、現実に生きるようになったら、随分と楽になりました。

 

その一つが、もちろん、

病気だから仕方ない

という考え方でもありました。

 

現実は、残酷ではなく、ただ事象としてそのことが起きているだけです。

 

本当の残酷は、本当はこうではなかったのにという思いのフィルターを通して、現実を見ることです。

 

私は今日も現実に生きていこうと思います。