アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

過去の振り返り(1)

アルコール依存症の夫に構っている間、私はとても忙しかったです。そして、同時にその忙しさは私にとってとても都合がいいものでした。自分のことに取り組むことから逃げられたからです。

 

私はちょうどフリーランスで仕事をするために、会社勤めをやめ、時間をもっと自由に活用しようとしました。また会社を退職してから、しばらくして、夫と婚約しました。この人と将来一緒になるだろうと思っていたので、結婚のことも考えると、今後夫との生活に柔軟に対応していくためにも、フリーになって、私が自由に働ける環境を整えようとしていました。

 

しかし、フリーで働くと言うのは、会社員より、比べ物にならないほど、「自分」が主体的に動く必要があり、誰からの指示されない代わりに、「自分」が何もしないなら、単に何も起きないという、挑戦的な環境でありました。そして、当時の私は、「自分」に取り組むことに、全く準備ができていなく、精神的にも弱く、人から言われたことのみが非常にうまくでき、人からの評価を稼ぐ存在で、主体性であったり、自己肯定というものは、あまり育っていませんでした。

 

私がフリーになった時、もしかして、夫は(その当時は、彼氏と婚約者)ストレスが多すぎて、お酒飲みすぎている?などと思っているレベルで、アルコール依存症などとはさらさら思っていなかったし、結婚すれば、やめる、婚約すればやめるなどと本当に軽く考えていました。

 

そして、私は、自分がフリーになったのと同時に、なんと自分の自由な時間を、夫を助ける、励ます、諭す、導く、指導する、叱責することに使い始めたのは、大きな過ちだったと認めます。今思うと、手っ取り早く、自分の存在を肯定でき、他人を支配することで、また犠牲的に貢献することで、偽りの自己肯定を獲得しようとしていたのかもしれません。

 

もし、私がフリーにならず、会社員としての仕事を続けていたら、自動的に「構いたくても、構えない」状態を作り出せ、その方が、こんなにも共依存的になって、夫の問題に巻き込まれることもなかったと、以前は思ったことはありましたが、今はそうも思いません。

 

と言うのも、今振り返ると、あの時、フリーでありながら、私は夫のことに構うことを放棄して、主体性を発揮し続けることができる精神力では全然なかったからです。

 

私は精神的に非常に弱く、依存的で、他人からの評価がないと、前に進めず、自分のやりたいことも本当は分かっていませんでした。

 

今でも、アルコール依存症の「否認」と同じように、自分の問題を、自分の課題を見逃そうとする「否認」が私の中にあります。

 

目の前の現実と向き合うことを「否認」し、安易で、手っ取り早い方法を常に探す自分がいます。それは自分の中にある劣等感を、手っ取り早く埋めたい、満たしたいという、私の中の欠乏感、恐れからきているのだろうと思います。残念なことに、アルコール依存症者が、アルコールという手っ取り早い方法を手段として用いるのと、まるで同じ構造だと気付かされます。

 

夫と出会い、アルコール依存症という病気を知り、また自分の共依存を知り、自分の問題に向き合っていく中で、自分を深く知る機会が与えられたことに、今は感謝しています。