理不尽な要求に対して
日常の理不尽な行動
アルコール依存症と一緒に過ごしていると、
「え!!それはないでしょう〜〜!」と心の中でめちゃくちゃ葛藤したくなるようなことが日常茶飯事になる。
もう、ありすぎて、ありすぎて、1から全部書くのは、嫌なことをとことん忘れようとする私には難しい。
よくあったのが、食事のトラブル。
ラーメン作って!って言われて、作ったのに食べない。
それが、「ごめん、食欲なくなった」とか、「やっぱり、いらなくなった」とかなら全然いいんだけれど、そうじゃなくて、「なんでそんなもの作った!!!!」と言う態度でわめきちらす。
だんだん、このパターンに慣れてきちゃうと、「はいはい、また始まりましたね。」ってサバサバいける。
正直なところ、アルコール依存症との関わりは、「理不尽」はつきものだから、そんなことに、「え?あなたこういったよね?」とかそんな事実関係を求めても無駄。
こっちが疲労するだけです。
本当に理不尽で、信じられないくらい理不尽。でも、その理不尽にいちいち振り回されない。というのも、間違いなく、アルコール依存症の相手をしている"あなた"の説明が正しいから。でも、真っ当なその説明が全く通用しないし、その説明が誰にも求められないという現実。これがアルコール依存症と関わる家族のめちゃくちゃ辛いところ。
だから、「理不尽」なことが起きたら、「くそー!」って、もちろん思うけれど、それでも一瞬で冷静になったもん勝ち。
ラーメンの時も、正直、私もお腹いっぱいで、「わざわざ」彼のために作ってあげて、そして熱々のが出来上がってから、「いらない!」と言われても、もう麺も伸びちゃうし、もったいないし、「一体なんなの!?」ってもちろんなっちゃう。
でも、仕方ないから、冷まして、冷蔵庫入れて、そのまま、次の日に、ゆるゆるの麺で私が食べて、さっさとなかったことにしたわけ。
もちろん、ムカついたから捨てるっていうのもあり。でも食材を無駄にできない私は、捨てることで、さらにイライラするって分かっていたから、ムカついたけれど、食べました。もう、そこは自分をイライラさせない方の選択を手際よくとる。
翌日になっても、「このラーメンさ・・・」なんてことを『絶対に』くどくど話に出さない。口から出そうになるかもしれないけれど、これは絶対にやめたほうがいいです。話題にすることで、「理不尽」に対して、真面目に向き合おうとしたらNG。
「理不尽」は「理不尽」
残念ながら、アルコール依存症の理不尽は、もう根っこから腐っていると思うくらいのほうがいいです。ちょっと私が注意したら、正したら、少し良くなるかも・・・が墓穴を掘ります。間違いなくない。アルコール依存症に対して、何かできると思ったら大間違いくらいの気持ちの方がいいです。
だから、「理不尽」相手にしない。あんまり感情的になっちゃうと、それこそコントロールが難しいから、「理不尽」な言動による問題が起きたら、積極的な働きかけは極力避けて、もう、次、次と言ったほうがいい。冷たいくらいに、サバサバと。
ちなみに私は、めちゃくちゃ「なんとかなるかも」と思ってしまう人。私は、何度も何度も「自分の力」で余計な議論をして、問題を大きくさせてきた。これまでの数々の経験から、間違いなく、注意することでなんとか変えられることはありえないと痛感しています。
清算したい気持ちはめちゃくちゃわかるし、私だって、「ふざけんじゃねえーよ!」って思っているけれど、それがどうにもならないと認めることがスタートでもあるんです。
無力になることが勝つこと?
アルコール依存症に対して、家族は全く無力。これを認めます。ただ注意点は、アルコール依存症に対して、家族は全く無力なのであって、その本人に対して、家族は全然無力じゃないです。ここが、すごくややこしくて、イメージとして、本人(生身の人間、本来の人間)にアルコール依存症っていう着ぐるみをきているとすると、着ぐるみに対しては無力ということ。
でも、生身の人間はちゃんと残っている。それが病気によって着ぐるみを脱げなくなっちゃっただけで、生身の人間は、助けをこの上なく必要としているのも事実。人間が着ぐるみをきて、一体化してしまっているから、周りの家族は扱うのが半端なく難しくなる。
でも、ひとまずは、アルコール依存症に対して、家族は全く無力ということは、絶対に認めちゃった方が得です。
無力を認めるって、なかなかきつい。こうすれば、ああすれば・・・もちろんこういう考えが出てくるのが普通の人間。だから、無力なんか認められない、なんとかしたいって、私たちが反応しちゃうこと、考えることって全然おかしくないです。むしろ超普通。でも・・・それでも、アルコール依存症の家族を相手にする時は、その普通の感性まで小さくして、「私は無力です」を認めることがめちゃくちゃ必要。(涙)
「やってられない・・・」って思うかもしれないけれど、まさにそう。「やってられない・・・」間違いなく、やってられるものじゃない。
でも、アルコール依存症の家族を回復の道に進ませようとしたら、普通の常識と真逆のことがよく起きる。つまり、もうこんなことは、「やってられない・・・」「負けた!」と思ったことが、アルコール依存からの回復に繋がるための「勝利」だったりする。アルコール依存症に対して、「私は無力だ!」って認めることが、実は、勝利のスタートの一歩だったりする。
無力って認めると、さっきのラーメンの話に戻れば、ああだ、こうだ文句すらいう気も起きなくなる。理不尽で、呆れて、話す気すら起きない・・・というのももちろんあるけれど、どんな動機であれ、とにかくアルコール依存症の「病気の症状」に対して、まともに、同じレベルになって、ワンワンやりとりしないほうが、結果的に、その病気の症状を抑えることになる。
結果的にアルコール依存症の本人が「自分はアホだ、お酒飲んで、妻を傷つけているアホだ」って気づくのが早くなるの。
アルコール依存症って否認の病気って言われているけれど、本人の口から「やめてー、本当にやめたい!!!」となって、初めて色々なことがスタートする。そのために、自分がしてしまったことに、いちいち弁解をもたらすような無駄な喧嘩や議論を避け、理不尽なことに対して、無視して、スルーして、いい意味でちゃんと無力になっていることが、結果的には、勝利につながっている。
もう、そんなの泣き寝入りじゃん!わかるわかる、めっちゃわかる。本当そう。泣き寝入りもいいとこ。
でも今日1日だけ。たった今日1日だけ、その理不尽によって心まで土足でズケズケと入ってくるのを許させないでいると、とにかく、その1日の平和は守られて、そして、目に見えないところで、回復が進んでいるから。
今の涙を幸せに変えるために。