アルコール依存症者との喧嘩が絶えない家族へ
アルコール依存症者と喧嘩をするということは、結構な確率で頻発するものだと思います。
あまりにも理不尽な態度や、暴力的な言動、酔っていなかったら絶対しないような様々なことが、アルコールという性質によって、人格が破壊され、その破壊された人格と対立しあうということ…これはとても苦しいことです。
アルコール依存症と対立しあう原因の一つに、責任問題があります。つまり、どちらが悪いかをはっきりさせたいという欲求が生み出す問題です。
アルコール依存症者は、常に絶えず、凄まじいほどの自責の念を抱えています。家の中ではまともに過ごせず、子供ともまともに会話できず、妻は自分に対して毎日ため息をつき、収入はアルコールに散々する…自分でもうんざりするほど自分はちゃんと生きていないということを、よくよく分かっているのはアルコール依存症者本人です。
だから信じられないほどに、他人に責められる前に、自分を責めていますし、自分罰してしています。
だから、家族から責められるということは、すでに十分すぎるほど責めている自分に、更なる追い打ちをかけられることであり、アルコール依存症者にとっては耐えられないものなのです。
喧嘩のほとんどの問題が、責任は誰にあるのか、つまり誰のせいなのかということを明らかにするかのようなバトルに、ほぼほぼ収束します。
アルコール依存症の家族をやっている人は、お前のせいだとか、お前が全部悪いとか、そんなような言葉は耳にタコがつくほど聞いているかもしれません。
そして、家族側にとって、この依存症者から責められるということが、とてつもない屈辱なんです。
なぜなら家族側からしてみれば、どれほど我慢してるのか、どれほど耐えてるのか、どれほどアルコール依存症によって家族に不和が生じ、被害が生じているのかということを思う時に、その原因の根底にある当人から攻められるということは、もう本当に心が爆発しそうになるほど、耐え難いものなのです。
なので、ほとんどの場合、この責任問題で喧嘩が生じます。
心の中に、全てお前のせいだろ、何を言ってるんだ、何を寝ぼけたことを言っているんだ、という葛藤が勢いよく湧いてきて、本当は言っても仕方ないと頭ではわかっていていても、アルコール依存症者に対してまともにぶつかろうとしてしまうんです。
そして、こうなるとほぼほぼ罠に陥ります。
それはアルコール依存症者と正面衝突で、真っ正面から喧嘩をするという、非常に不毛な戦いに入っていくからです。
そして残念ながら、勝負はほぼ決まっています。それは依存症者が勝つんです。
なぜなら、この喧嘩はそもそもまともな思考の喧嘩では勝てないものなんです。家族がしらふで臨んだって、勝てっこありません。
人が聞いたらばかじゃないかと思うようなことを、アルコール依存症者は平気で言ってくるんです。それに対して、まともに言い争っていたら、あなたが疲弊するだけなんです。
もしあなたがお酒を飲んでなくて、正常な思考状態なら、本当にアルコール依存症という病気の餌になるだけですから、最初からこの喧嘩に入らないでください。
そうなるとそれでは依存症者の言われっぱなしで、悔しいとか、まるで全て私の責任じゃないかみたいに思ってしまう人がいるかと思いますが、そういう人に伝えたいことは、病気のことを全然理解していません。
アルコール依存症は病気なんです。病人とまともに戦っちゃいけません。
あなたは両手両足があるのに、依存症者からお前には両手両足がないじゃないか、お前は両手両足がないじゃないか、などと言われ、カッとなって、私には両手両足があるのよ、と言っているようなものです。
相手にしなければいいということは一目瞭然です。
でも、この依存症の病気の渦に入ってしまうと、その一目瞭然のことが、なぜかできなくなる、なぜかまともに退治しようとしてしまうということが起きます。
だから、目を覚ましてほしい。依存症というものは病気なんです。喧嘩の渦に入りそうになったら、理不尽なことを言われて、仕返ししたくなったら、相手にするべきは依存症者ではないということを思い出してください。病気が彼を壊してしまっているんです。