アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

自分の中に湧いてくる感情に対して、自分で自分をジャッジしないということ

私の夫は、私と比べて非常に経済的に寛大であるところがあります。 それは夫の良いところであると、頭では理解しつつも、それでも夫婦という関係の中で、経済を共有しているわけですから、夫の寛大さについていけない、あまり理解ができないということもあります。

そして同時に、夫の経済的な面での寛容さについて、自分が心の中で、ジャッジをしたり、ケチケチした思いを抱いてしまう…そのようなことに嫌気を感じてしまうことがあります。

 

先日夫と温泉プールに行ったのですが、その時、私たちは持ち合わせの現金が大きめの紙幣しかありませんでした。夫が紙幣を出した時に受付の女性がレジや金庫を色々と見ていて、結構時間がかかっているようでした。そして女性から、「手持ちのお釣りがないので、今回は入館料はいいです。そのまま入ってください」という風に言われました。私と夫は財布やポケットの中に入っていた硬貨を探して、ある分だけ渡しました。

 

少しラッキーだったな、こんな事ってあるんだなと私は心の中で思いました。翌日またそのプールに行ったのですが、別の受付の方で、今度はちゃんとお釣りがあって、私たちにお釣りを渡そうとした時に、夫がパッと思い出したように、実は昨日お釣りがなくて、払えていない分があるから、お釣りはこれだけでいいですと女性に伝えました。

 

結果的に、私たちはちゃんとした正規の金額を支払いました。別にこの事自体はとても些細なことで、たいした話ではないんですが、一旦私が心の中でラッキーだったなと思ったことに対して、夫が打ち消したという気持ちがありました。同時に、ここからがまさに私の伝えたいポイントなのですが、夫の正直さ、誠実さに素晴らしいという風に思わなくてはいけないのにどうして私はこのように感じてしまうのだろう…と自分自身の感情に嫌気がさしました。

 

アルコール依存症の夫と過ごしている時、特に夫が飲んでいる時には、本当に良くない考えや、恐ろしいなと自分でも思う強い考えが頭の中を巡った事が何度もあります。

 

そして、その時に私はどうして自分はこんなふうに考えてしまうんだろう…と自分を攻撃し、自分を責める…そういったことを繰り返してしまいました。

 

アルコール依存症の生活の中で最も苦しかったことは、夫との関係性というよりかは、自分自身が自分の頭に浮かんだ考えや思いに対して、非常に批判的で否定的な攻撃を加える…そういう時に私はものすごい苦しさを感じました。

 

それが顕著なのは、私がその苦しさを感じてる時に、たとえ嘘でも、そういう風に感じてしまって仕方ないよ…そういう感情が湧いてくるのは当たり前だよ…とっても自然なことだよ…と自分に言い聞かせてあげると心がすっと軽くなることを感じるんです。

 

だから、私は自分が自分を攻撃する事ほど、人生を苦しめるものはないということを確信しています。自分への攻撃とは、自己否定であり、自殺にすらつながりかねない破壊的な考え方だからです。

 

アルコール依存症の家族は、口では言わなくても、心の中で様々な挫折や悲しみ、怒り、我慢、納得感のなさ、そういったものを感じてしまうことがきっとあると思います。

 

そして、時に必要以上に自分をジャッジしたり、自分を厳しく評価したり、まるで自分が善人ではないかのように思ってしまうこともあると思います。

 

私が今日伝えたいと思うことは、自分の中に湧いてくる様々な良くない考えや思い…そういったものがあったとしても、良い、良くないなどと決めつけているのは自分であって、湧いてくる感情に白も黒もないんだということを伝えたいです。

 

お釣りがなくて入館料はタダで入っていいですよと言われた時に、ラッキーだと思った感情というのは、素直に私の中に湧いてきた感情です。

 

その時、夫は申し訳ないと、もしかしたら思ったかもしれません。

 

でも、決して私の感情が劣っていて、夫の感情が優れていて…そう言ったものに考えないということです。

 

翌日ちゃんとお釣りがあって、そして昨日の分の入館料もちゃんと払えた時に、私は昨日のラッキーが取り消されてしまったと、少しがっかりした気持ちになってしまいましたが、夫は昨日の分もちゃんと払えて本当に良かったと晴れ晴れとした気持ちになったと思います。

 

こうやってみると、1日前の私はハッピーな気持ちになり、夫は少し後ろめたさを感じた気持ちになり、そしてその次の日の私はちょっと残念な気持ちになり、夫は清々とした気持ちになったということだけです。そしてその感情を感じたのは、おそらく5秒から10秒ぐらいの一瞬の感情だと思います。

 

これに対して、良い悪いもないんです。別の場面で、別の状況の時は、全く逆のことが起きたりもします。

 

人生の様々なステージの中で、時と場所が変われば、同じ人間だって、感じることは変わっていくんです。だからその時、その瞬間に思う感情について、あまり大げさに捉えない…むしろその感情を分析し、そこからあれこれジャッジして、白黒をつけて、まして自分の考えていることはよくないことなどと自分を責めたりしない…自分を責めるという行為は、本当に自分を傷つけてしまう行為です。

 

アルコール依存症の家族の当事者の方とお話をしている時に、夫を殺してしまいたい気持ちになったと言っている方がいました。私はそれを聞いた時に、そうだよね、そういう風に思う事ってあるよねと思いました。

 

別に殺してしまいたいという気持ちが湧いてきたって、実際に殺しているわけではないんです。殺してしまいたいというのは、翻訳すれば、それくらいに嫌な気持ちになった、自分に襲いかかってくる猛獣のように相手が見えてしまう気持ちになったと言っているだけに過ぎません。

 

でもそこで、私は人を殺してしまいたいような気持ちになるほどに、自分は最悪な人間だなどというふうに考えてしまうと、全く別の話になってしまいます。

 

感情というものは常に色々と揺れ動き、時と場合によっていろいろと変わり続けるものです。その時、その瞬間に感じた感情に対して、あまり大げさに対応しない…ましてその感情によって、自分の良し悪しをジャッジするようなことはしない…どんな時でも自分は自分の最大の味方でいること、そして自分の良くない点も、誰かにとってはとても良い点であり、そして自分の良くないと思っている短所も、ある見方からすれば、すごくいい長所になったりする…そんなことだって沢山あるんです。

 

自分が自分にもっと優しくなることで、回復のスピードが上がってきたなと感じます。どんな時でも少なくとも、自分は自分をジャッジしない…それを心に決めておくと、他人をジャッジすることも少なくなってきますし、自分の中に感じている苦い思いを少しずつ手放していくことができます。