アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

【Noutiのこと】過去を振り返って

最近しばらくブログから離れていて、 Twitter ばかり更新していました。

 

私はTwitterを更新してる時に、なぜかふと、この日本の中に、世界のどこかに、今アルコール依存症の夫を抱えていて、死にたくなるくらいの気持ちの人がポンと心に浮かんで、その人には直接会えないし、どこにいるかわからないし、どんな形なのかも全然わからないけれども、でもなぜかその人に対して声をかけたいという一言がぽーんと浮かんできます。

 

アルコール依存症の家族の中には、それほど悲惨で、地獄のような生活ではなく、まあまあ夫は確かに依存症だけど、まぁまぁ私はうまくいっているという方もきっといらっしゃると思います。

 

ただ、私の場合は、結構なドラマがあり、夫の依存症と本気で戦ったのは2016年から2021年までの6年間でしたから、それほど期間で言うと長くはないかもしれませんが、その6年間は、かなり重い6年でもありました。

 

ただすごいなと思うのが、それでも今振り返ってみた時に、フラッシュバックのように、あの時あんなことがあったな、こんな恐ろしいことがあったなと、ブログや Twitter を書く時には、思い出すことは出来るのですが、でも一方で、普段の生活では特に何ももう思い出したりはなく、むしろ良かったこと、楽しかったこと、成し遂げたこと、ありがたかったこと、そういったこと思い出すんです。

 

私は決して見捨てられなかったというか、本当に大きな力によって守られた…大変な6年間だけれどもでも、沢山助けられて、守られて、救われた…そういう6年間でもあったなという風に思います。

 

私は自分が結婚する前から、夫にお酒の問題があるということは薄々とは気付いていましたが、ほとんどの場合は、仕事のストレスによって飲んでしまっているんだろう…というくらいにしか考えていませんでした。

 

というのも、私は全くお酒を飲まなず、自分の世界に酒というものがなかったため、酒の取り扱い方が全く分からなかったからです。社会人になりたての頃、先輩や上司たちが、仕事でイライラしていた時に、「飲まないとやってられない」という冗談混じりに言う言葉を聞いて、酒=ストレスの解消くらいにしか考えていませんでした。

 

夫は、実は、ストレス云々の話じゃない…本当に病気かもしれない…本当に依存症かもしれない…と思い、そのことを認め、インターネットで調べ始めた時には、凄く怖かったです。

 

というのも、もし本当に病気なら、助けてほしいという思いはありつつも、まさか自分の夫がアルコールに問題があるとは認めたくない…そしてもっと認めたくなかったことが、まさか自分がアルコールに問題を抱えている人と結婚したという事実を認めたくない…そのような想いがあったと思います。

 

これは後から気づいたことなのですが、私は何かを得ること、何かを成し遂げること、また結婚においても、結婚することで、自分の価値を上げよう…そういう魂胆がどこかに残っていたんだなということに、振り返ってと気づきました。

 

そのように、自分の価値を自分自身で認めるのではなくて、何か人に依存して、人に高めてもらおう…そういう思いを常に抱えていた私は、夫が依存症だという事実に大変苦しむことになりました。

 

私は人に助けを求めるまで、随分時間がかかりました。なぜなら自分の夫は病気であり、問題を抱えているということを認めるということが、自分にとって欠点を晒すような…そのようなイメージがあったからです。

 

恥じるという感情が、まさにそれを表しているかなという風に思います。自分の夫が依存症であるということが恥であるというふうに思ってしまう…まるで自分の体についているあざのように、何か隠したいようなそのような気持ちになってしまっていたんです。

 

だから助けを求めるのには、本当に時間がかかりましたし、勇気をもって助けを求めようとしても、あまり詳細まで聞かれたら、もういいですと言って逃げてしまう…そのような自分があったなという風に思います。

 

ある方が、夫の依存症で、自分自身の問題を見つけることができた…そして、自分自身の人生を変え続けることができたと、夫のアルコール依存症に感謝している方がいました。

 

私はその方と2018年ほどに出会ったのですが、いったいこの人何を言ってるのか、頭が狂ってるのではないかという風に思っていたと思います。

 

でも、今は100%までとは言えないけれども、でも本当につまずいて良かったという風には思うことができるようになりました。

 

というのも、私はあの時人生につまずかなかったら、本当にもう無理だという状態にまで落ちなかったら、自分自身を見直し、自分自身を変えていくなどということに対して、自分の命の方向が向かなかったと思うし、もっともっと他人に依存的になって、世の中の評価とか、そういったものばかりを目指して、なんか空っぽで、自分の価値を認められない、虚しい人生を送っていたのかなという風にも思うからです。

 

2022年は本当に素晴らしい一年でした。夫が断酒し、全く別の人に変わるというのは、自分がついていくのが必死なほどに、夫の変化は凄まじかったです。

 

夫が飲んでいて、依存症の真っ最中の時に、この病気は断酒しか治す方法がない、断酒さえすれば生きていくことができると聞き、でもそれができないから困ってるんだと、この堂々巡りに苦しんだ時は、全く断酒を信じることなどできなかった…他の人には起きても、自分の夫には本当に起きるのかと疑っていました。

 

私たちも地獄の底にまで落ちて、全てを手放して、自分たちが本当に何にもできない、自分たちの力ではどうにもコントロールできないというところまで、落ちる所まで落ちていた時に、本当に助けられたと心から感謝しています。

 

私は今もこれからも、そして死ぬまで、発展途上ですが、でも少なくとも成長している…少なくとも以前の自分より、よほど生きやすくなった…このことに感謝して、今日も生きていきます。