過去の自分も丸ごと受け入れる
夫が飲んでいた頃、私の願いはひたすら「断酒」でした。
そして、夫が断酒してから、私の願いとして、また別のものが芽を出しました。
長い間、アルコール依存症に向き合ってきて、喉から手が出るほどに望んでいた断酒が、当たり前の日常になって、それに満足したのも束の間。また今度は別の要求が出てきた自分がいました。
その自分を批判することはしません。
長らく感情を押し殺してきて、ずっとこの病気を相手にしてきて、そうして、アルコールは家から完全に消えた時に、まるで自分がスタート地点に戻ったかのような、ようやくやり直しができるような気持ちになってしまったのも無理がないと思います。
今思うと、私はアルコール依存症と人生を歩んできて、一度夫が断酒をしたからといって、何も、過去をぐっと遡り、振り出しに戻ったかのように時間軸を捉える必要は全くないのだと気づかされました。
この病気と向き合い、葛藤し、時にボロボロになりながらも、確実に1日1日を過ごしてきた自分が、その自分が、次の人生のページを、歩んでいくのであって、ゼロに戻るとか、振り出しに戻るとか、最初からやり直しみたいに考える必要は全くない・・・焦ったり、失われた時間を取り返さなくてはと必死になるのは違うと気づきました。
自分の人生を肯定するというのは、アルコール依存症と過ごした日々をも、人生のエネルギーとして、肯定し、次のステップへ進んでいくことかと思います。
まるでなかったかのように、それがなければできていたであろうことを探し、落ち着きを失うのは、とても勿体無い生き方だと思います。
失ったものに目を留めるより、得たものに目を留めます。2人の時間が作り上げてきたものに目を向けます。変化した自分、落ち着きを取り戻した自分、前よりもっと幸せを感じやすくなった自分に目を向けます。
そして、今日を大切に生きていきます。