損得勘定
私は非常に損得勘定の強い人間で、今もそれが強くあります。
以前は、自分は損得勘定が強い、嫌だ、治したい、損得勘定の思いが強いから問題なんだとか思ってしまい、
損得勘定は悪
みたいに捉えて、その捉え方がまた自分を苦しめてしまっていましたが、今は、損得勘定そのものには、いいも悪いもなく、使い方によってはとても賢く、いいものでもあるし、使い方によってはとても愚かで、悪いものにもなるという風に考えています。
所詮感情ですから。感情に絶対にこう!みたいな善悪はないと思うんです。
物事に対して、損か得かを考える時、損と思えばしない、得と思えばするんですね。行動の基準になるのはやはり、この「思い」なんです。
だから、この「思い」のフィルターというか、選択の感度がそもそもどうなのか?という風に考えると、自分は損と思って、得なことがあり、得と思って損だったことが、沢山あった事を思い出し、そもそも自分のフィルター自体がもしかしたら薄汚れているのかもしれない、まずはこのフィルターを綺麗にしたいと思うようになりました。
夫の尻拭いに明け暮れていた頃は、まさに得と思って損だったことであり、アルコール依存症と向き合う中で、自分の性格的欠点について深く見つめ、改善する機会が与えられたことは、損と思って得なことだったと思います。