アルコール依存症の人が酔っているときに、怒りやすいのはとても普通です。
アルコール依存症の当事者は、日々、アルコール依存症という自分ではコントロールできない病気に束縛され、自由を奪われ、とても苦しい状況の中に生きています。
想像してみてください。もし、自分の両手が、鎖で縛られ、足も鎖で縛られていたら、どんな気持ちになりますか。何をするにも時間がかかります。そして、右の手で自由にできていたことが、何もできなくなります。食事の時間もかかります。
酔っている時というのは、脳が正常に機能していない時です。ある意味、縛られている状態と同じです。まともに歩くこともできないし、まともに話すこともできないんです。
もし、アルコール依存症者が日常的に怒っている場合は、2種類の怒りが考えられます。
1.自責に苦しみ、自爆しているパターン
2.家族や第3者から言われたり、やられた行為がきっかけになって怒りが爆発するパターン
1については、アルコール依存症という病気の特徴から、彼らたちは常に、自責の念に苛まれています。依存症という病気で苦しんでいる人々の毎日は、決して、幸せではありません。
人間は誰でも、毎日が楽しくなかったら、イライラしたり、怒りっぽくなるのはとても自然なことです。アルコール依存症者は、毎日が楽しくないので、些細なことに怒りやすく、いつでも怒りを爆発する可能性があります。
何でもかんでも、依存症者が怒ったのを「私のせい」ではないかと気にして、悩んでいる人は、アルコール依存症者は、基本的には、常に怒っているということを、よく知っておくことは、大事なことです。不用意に、自分を責めることから避けられます。
次に2のパターンです。これは、アルコール依存症者の周囲にいる人が、当事者を怒らせるということです。Noutiはこれをよくやってしまいました。
基本的に、1の要素を常に持っているので、家族が便乗するなら、いとも簡単に怒りだすという当たり前のことを忘れ、何度も何度も、相手を怒らせていました。
家族は、1のパターンについては、コントロールできません。でも、2のパターンについては、コントロールできます。
アルコール依存症者が怒らないようにすることは、家族にはできませんが、少なくとも、自分から火種を渡さないことは、コントロールできることなんです。
家族が依存症者に火種を渡しがちな考え方に次のようなものがあります。
1.小さなことを大きく考えること。
(「まあいっか」と流さずに、細かいこと、くどくど言います。)
2.過去のこと、根掘り葉掘り、掘り起こすこと。
(依存症者は過去も今も、自分がめちゃくちゃであったことを痛いほどよく知っています。)
3.今答えがわからない未来のこと、あれこれ心配すること。
(依存症者は今生きることだけでも精一杯で、明日もおろか、未来なんて考えられません。)
などなど。
一例にすぎませんが、このようなことを依存症者に持ち掛けることは、自ら、墓穴を掘るようなものです。
その結果、アルコール依存症者を怒らせます。
アルコール依存症者が怒るということには、決して驚いてはいけません。なぜなら、依存症者が怒りやすいのは、症状としては、とても自然なことだから。
風邪をひいたときに、咳が出て、びっくりする人はいないでしょう。同じように、アルコール依存症において、「怒る」というのは、症状の一つです。
ここで一つ問題なのが、アルコール依存症者が怒った場合、普通の怒りよりも、何十倍も強力に怒るのが依存症者の特徴です。
お酒がコントロールできないのと同じように、怒りをコントロールすることもできません。なので、アルコール依存症者が怒ると、壁が壊れたり、ドアが壊れたり、窓が壊れたりします。
普通の家庭なら、反抗期の息子が、1年に1回とんでもないことをしてくれたというレベルの怒りが、アルコール依存症者は日常茶飯事に起きます。
その結果、家族は、起きた結果に対して、更に反応的になり、怒るということをしています。
もとは、火種を渡してしまったことにあったのに、問題の焦点が一気に、窓が割れたこととか、大声を上げたこととか、罵りの言葉を発したこととかに一気にフォーカスします。Noutiはこれを「家族側の卑怯」とあえて呼びます。というのは、家族側は脳が正常に機能していますが、当事者は、脳が正常に機能していないので、時系列がよくわからず、割られた窓だけを責め立てられて、「あ、割ってしまった。とんでもないことをしてしまった。」と本人を反省に陥れるように使えるからです。
Noutiはよく、自分がやってきたことは棚に上げて、依存症者がやった壊滅的な結果のみフォーカスして、相手を責め、裁いていました。
そして、相手を責めることで、更に依存症者は不幸に陥り、この良くない出来事がぐるぐると循環していたことに気づくには、随分と時間がかかりました。
自分との関わりの中で、アルコール依存症者が怒ったときは、実はチャンスです。自分の一言、言い方、表現、表情そのようなものが、引き金になっていることがあります。
「はい、また怒った!」と、問題をすべて相手のせいにするのではなく、自分が、火種を渡してしまってないかと考えます。
こう考えるか考えないかは、自分の選択です。
アルコール依存症者は、ベースが、とても不幸な状態にいます。幸せを感じることが難しくなって、怒りっぽい状態にいます。もし、大切な家族がアルコール依存症であるならば、
家族が火種を渡し続けるのは、やめること
はできます。これは家族側のコントロールです。
怒るというのは、それなりにエネルギーを使いますし、とても疲れます。
怒る方も、怒られる方も、そして怒り返す方も、どれもが疲れるものです。なのでNoutiはこんな生き方はもうやめにしようと選択しました。
正当な怒りは、もちろんします。でも、家庭では、平安と落ち着きを大切にしたいので、自分から怒りの火種を渡すことがないように気を付けています。