「早くお酒をやめてほしい」とずっと思い続けていた私
私は夫に、ずっとずっと「早くお酒やめてほしい」って思っていました。思いすぎて、疲れて、自分が死にそうになるくらい、本当にずっと思っていました。でも、これって本当に無理がある考え方だったなと、今は思います。
依存症というものは、自分が依存症だと自覚するのにも、自覚してから、治すまでも、また治してから回復するまでも、時間がものすごくかかるんです。当たり前です。だって、依存症だから。簡単にやめられるなら、依存症じゃないです。
本当に時間がかかるので、せっかちで、何でも早く結論を求める私には、壮絶でした。
依存症は、自分にはコントロールができなくなって、依存せずにはいられないから、「依存症」なんです。依存症という病気なんです。当然、やめるにやめられない。早くやめてほしいも何も、早くとかゆっくりとか関係なく、やめられないんです。
それなのに、一番身近な家族から、ずっと「早くお酒をやめてほしい」と思われているのは、「早く依存症やめてほしい」と言っているのと同じで、依存症はやめられないから依存症なのに、「依存症をやめてほしい」という無理があることを延々と要求し、堂々巡りしていたなと思います。本人も、身近な家族からいつも急かされ、かなりのプレッシャーと負担だっただろうなと思います。
すごく、たとえが悪いのは百も承知ですが、ちょっとたとえてみます。
私は25メートルプールを何とか、ギリギリ、息をすることなく、泳ぎ切ることができます。でも、決して楽ではなくて、泳ぎ切ったら、かなり心臓がバクバクします。
25メートル息つぎなしは、私にとっては、限界とちょっと先なんです。つまり、限界を少し超えているんです。もし、30メートルになったら、私はできないことを知っています。たった5メートル!?ではなくて、本当にできないんです。
もし、私が誰かから、「早く30メートルを息つぎなしで泳いで」と言われ、それを本気でやろうと思ったら、私は呼吸法を変え、自分の肺活量を上げ、趣味程度で泳ぐのではなく、かなり本格的なトレーニングをしていく必要があります。
でも、もしかしたら、それをやったところで、できないかもしれません。
そもそも、私の身体の仕組み、私の肺のサイズの限界から、どうトレーニングをしたところでできないかもしれません。
息をしないで潜っているということが、25メートルを超えたらもうできないという感覚は、自分でコントロールできない感覚です。
できないというのは、やると死にそうになるから、本当にできないんです。
アルコール依存症って、飲まないとやっていけない病気です。
少なくとも私の夫は、飲まないと、生きていけないくらいの状態でした。
お酒をやめると、手がガタガタと震えだし、一睡もできませんでした。つまり、3日間やめて、「私は3日やめれた!すごい!」なんて思っていた時、夫は3日間徹夜で、地獄みたいな日を過ごしていました。
依存症って、本当に簡単には、やめられないんです。
まして、早くやめてほしいとか、その「早く」っていう言葉が、本当に意味をなしません。明日になっても、明後日になってもやめられないから、依存症です。
私が息つぎなしで、泳ぎ続けることができないのと同じくらい、彼らは、お酒をやめ続けることができません。
私が25メートル息つぎなしで泳いで、やっと顔を空気中にあげた途端に得られる空気は、依存症者にとってはお酒です。本当に、空気みたいに、お酒が必要不可欠な状態になってしまったのが、アルコール依存症という病気だと思います。
確かにものすごく怖い病気だけど、でも、同時に彼らたちはそれくらい、「生きる」ということに必死で戦っています。
飲み続けたら死ぬ。もちろん、そんなことわかってる。でも、飲まないと生きていけない。このジレンマ。出口のない、真っ暗闇の中を生きるのは、かなり苦しいことだと思います。この病気は、ものすごく怖い病気で、本当に本当に、苦しい病気なんです。
なので、「早くお酒やめてほしい」を、まるで「早く痩せてほしい」みたいなトーンで思ってしまっていましたが、生きるか死ぬかくらいに本当に大きい願望だったんです。私はそのことに気づかず、まるで片付け仕事のように、「早くさっさとやめて、早くさっさとまともになって。」と思っていました。
すぐにできないことに対して、「早くできるようになってほしい」という他人からの期待は、プレッシャーと負担以外、何ものでもありません。
家族からガミガミ言われれば言われるほど、依存症者も、更に自信をなくしてしまいます。そもそも簡単にできることでもないのに、勝手に期待して、勝手に失望して、やる気だけをくじくなんて、本当に互いにとって、無駄なことをしていたなと思います。
家族は依存症という病気を引き起こすことはできないし、また当然家族は、依存症を治すこともできません。
ただ、家族は依存症者の自信をくじくことだけは、過剰で非現実な期待を持ち続けて、いつも不機嫌で、イライラすることでできてしまうなと思うんです。不幸な人間を更に不幸にするような圧力をかけて、アルコール依存症という病気の進行を盛り上げてしまうことは、出来てしまうと思うんです。
私は、認めたくなかったですが、夫の回復を邪魔していたと思います。本当に認めたくなかったです。だって、とても惨めですから。回復を祈っていたのに、皮肉にも邪魔していたなんて。
自分の態度や言動、過剰な期待が、依存症者を本当に苦しめていたかもしれないと謙虚に思うまでに、かなりの時間がかかりました。でも、そこまで私も自分に失望して、はじめて、生き直しに取り組めるようになったと思います。私にとっての底つきだったのかもしれません。
「本人のため」と思ってやっていると思いながら、結局は、「私は常に正しい」いう傲慢さと自己正当化の中に生きていたなと思います。
そんな私も夫も、助けられました。
アルコール依存症という病気は本当に恐ろしいものだし、二度と味わいたくないものだけど、私たち夫婦は確かに、この病気を通して、本当に変えられたと思います。
落ち着きと平安を大事にして、「早く」ではなく、「ゆっくり」でも、「確実に」1日を生きていくことを今は大切にします。