アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

どうして依存症になったかを調べている家族へ

アルコール依存症者がどうしてこのような病気になったかということを、はっきりと説明できる人は、誰もいないということを、家族はしっかり理解していくことはとても大切です。

 

どこかに答えがあって、どこかにはっきりと原因を説明してくれる人がいて、そしてどこかに明確な解決策があると信じていると、私たちは完全にこの病気の迷路のような、堂々巡りのループにはまってしまいます。

 

アルコール依存症になった理由は、様々であり、一人として同じ人間がいないように、一人として全く同じ原因で依存症になった人がいないんです。

 

どうして、あの人は癌になって、どうして、あの人は癌にならず、そしてどうして、あの人の癌は乗り越えられたのに、どうしてあの人は、あんな若くして死んでしまったのか、このことに答えられる人は誰もいないと同じように、どうしてこの人は依存症になり、あの人は依存症にならなくて、そしてどうしてこの人は依存症を乗り越えられ、どうしてあの人は依存症を乗り越えられなかったのかを、説明できる人は誰もいません。

 

誰もいないということを、少なくとも私たち家族がしっかり認識し、どこかに魔法の杖があるかのように、青い鳥を探すかのようなことをし続けないことは、出口のない迷路に入り込まないために、とても重要なことです。

 

どうしてそのことが言えるかと言うと、私たちは人生を通して様々な経験をし、様々な感情を経験します。そして同じ出来事が起きても、人によって、感情的な受け止め方は様々であり、人によっては破壊的な経験をし、自分の感情を傷つけ、また自ら自分の感情を傷つけるような考え方をする人もいます。

 

人によっては、ひとつの経験がトラウマとなり、なかなかそこから抜け出せず、家にこもってしまい、感情表に出さず、内へと蓄えてしまいます。

 

人によって様々です。

 

その人が受けた経験とその人が選んだ感情は、他人がどうこうできるものではないですし、まして他人が、この人はこういう考え方をし、こういう感情の選択をしているから、だからこのような結果になったのだと分析したところで、その人を救うことはできません。

 

当人すらわからないことを、当人でない他人がどれだけ分析し、力説し、方程式を並べたとしても、確実に合っているとは言えないわけです。

 

自分の人生を通して、経験した感情…それが複合的に絡み合い、結果的にアルコールに依存しないと生きていけない事になってしまったんです。

 

理解することは、まさにここだけだと思います。つまり本人は、とても苦しんでいるということ、抜け出せられない、離れられない、強迫的飲酒が日々自分を迫ってきて、もがいているということです。

 

病気が彼をさらに破壊し、鎖で手足を縛られたかのように、アルコールで完全に手足が縛られ、解放されたくても解放されない、自分の力ではどうしようもない、自分の力で飲むことすら止められない、そのような病気になって、もがき苦しんでいる…そういう人間だということを家族は理解してあげることです。

 

アルコール依存症に、どうしてなったのかということを理解する…そのことに時間を費やすのであれば、私はその代わりに、今彼がどれほど苦しんでいて、どれほどの痛みを抱えていて、どれほど囚われているのか、ということを理解してあげることに時間を使い、今という彼をそのまま見てあげることの方が、よほど価値のあることだと思います。

 

家族でアルコール依存症になったのかを理解したところで、病気を治せるものではなく、この病気というのは現在進行形であり、過去の原因を取り除くことによって今が変わるかのようなそんな簡単なものではないんです。まるで膝にガラスが突き刺さっているから、まずはそのガラスを取ることによって、取ることができれば、傷が癒される…そのような見方で依存症者を見ることは、非常に短絡的な見方だと思います。

 

むしろイメージとしては、カラスは既に粉々になって、血液に溶け込んで、ガラス混じりの血液が体をめぐるときに、全身に痛みを感じる…そんなイメージを持つ時に、ガラスを取り除こうとするのではなくて、ああ少なくとも、依存症者は、傷んでいるんだ、苦しんでいるんだ、ということが分かる…自分が痛い、自分がしんどいという時に、少なくとも周りの人間が、それを本当に分かろうとしてくれる…それはすごく大きな力になると思います。

 

ガラスを取り除くことではなくて、専門機関に行って、血液を洗い出すような装置に繋がれ、徐々に新しい血液を送り出すかのような、そんな長いプロセス…つまり断酒のための長いリハビリ期間を通らなければならないということを、家族がよく理解するということ。その時、何か一つのガラスの破片を取り除いたら、解決するかのような、そんな間違った希望にすがりついて、あなたさえ飲まなければ大丈夫なの!また酒を買うからこんなことになるの!と怒る…そのことがどれほど愚かであるかに気づかされます。

 

この病気は、確かにとても苦しい、そして長い戦いではあるけれども、それでも、この地上で生きてるたくさんの依存症者が、実際に回復していることを知る時に、また自分の夫も事実、日々回復していることを目の前で見る時に、決して希望などないという錯覚だけは持たないで欲しい…希望はあるし、回復はあるということを信じていただきたいと願います。