慣れきった習慣を見直し成長していく
アルコール依存症者と長く生活をしていると、アルコールという明らかな問題が、目に見える形でいつも存在しているので、常に相手の問題に目を向けてしまい、自分の中に起きるありとあらゆる問題を、簡単に相手のせいにしてしまうことにすっかり慣れてしまいます。
習慣というのはありとあらゆることに適応され、段々と自分自身の問題を自分がしっかり受け止める代わりに、人のせいにし、自分を被害者に仕立て上げてしまうことがあります。
私の中の問題の一つは、私は常に注目されるべき存在であり、夫は私のために一生懸命動かなくてはいけなくて、夫は常に私の要求を答えなくてはならず、そして私の不満足にさせるような、ありとあらゆる行動を夫はとってはいけない…というそのような考え方があったことです。
今こうして言葉にしましたが、もちろん私は常にこのことを意識していたわけではなく、全ては夫のせいという感覚にあまりにも慣れ切ってしまっていて、自分を見つめるということを難しくさせていました。
私は悩みが多いと思っていましたが、そのほとんどが自分のものの見方や行動からきていたこと、そして他人に非常に依存していたことに気付くには、かなりの時間がかかりました。
ものの見方や考え方というのは、今日明日でいきなり何かが変わるものではありませんが、だからといって開き直るのではなくて、少なくとも自分にはこういう問題があるな…と認めたのであれば、それに対して日々取り組んでいくということ。そして、取り組みながらまた新たな問題を見つけたならば、また取り組んでいくということ…。そうこうしている間に、気付いたら、過去気にしていた問題はすでになくなっているものです。
完璧主義的な考え方や、今日明日で何かを解決しようとする焦りや、物事を短絡的に見る見方というものは自分を破滅に導きます。
人生はそのようにできていないからです。
人生というのはまるで階段を上っていくかのように、ただしそれは時に螺旋階段のように、まるで同じところを何度も何度も通っているかのように見えることもあります。それでも確実に進んで、確実に時間は流れて、そしてその時間の中で、成長をしていく…それはとても豊かな人生です。