アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

共存するなら、狙うのはギリギリの関係

こんにちは。8月に入りました。私は、月初が好きです。なんとなく色々なことがリセットできます。また8月も心機一転、1日1日を大切に過ごしたいです。

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アルコール依存症の夫と暮らし始めてから、私は何度も「出ていく」決断をしました。離婚じゃなくて、単純に「距離を置く」ための別居です。

 

距離を置くという意味だけだと、それこそ一時的に数時間、数十分、家を出るなんてことを含めたら、もう数え切れないほどあります。

今でこそ、予定がないのに、夫のアルコール依存症のせいで、クールダウンする必要に迫られて、外に出かけるなんてことはここしばらくなくなりましたが、前はウォーキングに出たり、公園のベンチに座ってみたり・・・一人で外食に行ったり・・・色々でした。(アルコールに振り回されすぎでした!)

 

アルコール依存症者と共に生活するのは、大変です。とっても大変です。だからこそ、この病気のことを知らずして、もしくは軽く見てしまうと、とてつもない困難と苦痛のに閉じ込められ、光の見えないトンネルを突き進むことになります。

 

アルコール依存症者と共存するには、家族側には、色々と知っておかないといけないこと、実践しなくちゃいけないことがあるからです。

 

この病気を知ることなく、ただ「感情のまま」に動くと、本当に大火事になってしまいます。

 

この病気は、心の病気、脳の病気です。人の意識とか感情とかそういうところがうまく機能していない状態です。

そういう病気の人と関わると、家族の心、精神がやられます。気が滅入るなんて表現じゃないです。文字通り、心ボロボロ、ズタズタです。

 

だからこそ、「感情のままに」動いていたら、心もボロボロ、ズタズタにされるは、された状態で色々と行動したり、話したり、考えたりするわで最悪です。そんな状態で考える思考、言動は、すべてにおいて冷静さを失っています。

 

私がこのブログで、何度も何度も繰り返し書いてきていることですが、アルコール依存症者は「自責」でめちゃくちゃ苦しんでいます。

自分がやっていること、それによって起こる結果、家族への影響、それらの自責の念を抱えています。

アルコール依存症者は私たちに罵声を浴びさせたり、暴言をはいたり、暴れたりしますが、それより以前にまずは自分にめちゃくちゃ怒っています。

 

アルコール依存症者と関わることは、ある意味では病気のレベルまでいった「自分大っ嫌い人間」と関わるようなものです。

 

そして、いつも緊張状態で、疲れやすく、イライラしてます。心がシャボン玉みたいになっていて、突っついたら一瞬で割れるんだろうなって想像しています。

 

で、そうなると家族は結構気を遣ってしまうこともあります。どこかビビって小さくなってしまっているんです。

私も以前気を遣ってしまいました。自分の出来る範囲で、できるだけ彼の負担にならないようにとか、彼のスケジュールに合わせて、すべて行動するとか、彼のやりたい、行きたいを叶えるとか・・・。取扱注意のモノを扱うように、気を遣って接していました。

 

でも、これは共存するためには、絶やめた方がいいです。

 

理由は2つあって、1、疲れるから 2、アルコール依存症の回復に全く役立たないからです。

 

2については、私もこれまで何度もブログに書いてきましたが、今回は2よりも、1について、書きたいと思います。

 

この1の疲れるからは、一見すると、頑張ればどうにでもなるとか、我慢すればどうにかできるとか、私さえ・・・的な発想をしてしまいがちです。

 

アルコール依存症者を大切に思うからこそ、優しく接したりして、いいよ、いいよで何でもよしとしてしまうこともあるかもしれません。

 

でも、これをやっていると、どこかでキレます。どこかで「持続不可能」になります。ゲームオーバーになります。

確かに、疲れない工夫はできるかもしれないけれど、人はロボットではありません。感情を持った生き物です。

 

アルコール依存症は精神の病です。

だから、肉体の病と違って、時間が経てば回復するとか、治るとかではなくて、無理をすれば無理をするほど、蓄積してどんどん悪化していきます。知らず知らずのうちに、家族側が完全に共依存になって、病気になって、精神的に疲弊します。

 

そうなると、家族はもう逃げ場を求めるしかなく、その結果、配偶者の関係だったら、離婚とか、別居とか、家を出て行くとか、もうそういう大きな話に一気になっちゃうんです。

 

いい人になってあげたり、自分が我慢したりするのは、正常な人が相手なら、一時的だったり、そもそも害が少なかったりするけれど、アルコール依存症者を相手に、適当にいいよ、いいよして過ごすのはNGです。

そういういいよ、いいよの関係、もしくは、酔っ払いに真面目に口論を挑んでいる関係は、いずれ、共存から分離に動きます。

 

アルコール依存症者に真っ向から立ち向かうと立ち向かった側が確実に殺られる病気です。

 

共存するためには、もうキレるかキレないかのギリギリのラインを維持し続けることです。

 

怒りたくなるけれど、怒らない、説明を求めたくなるけれど、求めない・・・。この繰り返しです。

 

全部ギリギリのラインで止めます。

人間だから、感情があるから、嫌だなと思わないようにするとか、怒らないようにするとか・・・そういうふうに考えると、難しいし、そもそもそんな不意に湧いてくる感情をコントロールするのは不可能です。

そうではなくて、全部ギリギリのラインで抑える。一言言いたいけれど、心の中に留めておく・・・、このことを確認したいけれど、他人事と受け流す・・・。こんな感じです。

 

そうすると共存が可能になってきます。なぜなら、結果的に、怒りの原因になることや、相手を責めるようなことが表面化しないからです。

 

でも、昨日は我慢したから、今日・・・みたいになっちゃうと、またきつくなるので、共存するためには、もう一つ、今日この1日だけを過ごすということです。

明日のことはどうでもいい・・・。今日この1日、平穏で、感謝に溢れる1日にすることだけに集中します。

 

明日のこと、未来のことを考えたら、アルコール依存症者との共存はまず難しいです。お先真っ暗と思い込むから焦って離婚とか別居しちゃうんです。ひとまず、そんな先のことは考えません。今日を愛し、今に生きます。

 

私はこんなことを繰り返しているうちに段々と、うまく共存ができるようになってきました。そして、うまくできるようになったら、今度は、アルコール依存症の回復のために家族側が実践できることを少しずつしていくことができるようになりました。

 

noutiは基本、離婚や別居の前提でブログ書いていませんので、これからも共存スタンスで記事を書いていきます。どうぞよろしくお願いします。

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