断酒じゃなくて、絶えず『断酒中』
アルコール依存症の家族にとって、「断酒」は一大イベントですね。
ただ、断酒が始まっても、その後、断酒じゃなくなることももちろんあります。っていうかしょっちゅうですね。
何も、夢をぶち壊したいわけでも、ネガティブなわけでもなくて、アルコール依存症という病気の特性上、はい、断酒、はい終了みたいには、なかなかならないんですね。
だから、こう言ったほうが無難です。
断酒中。
ダイエット中とか、休憩中とか、食事中とかみたいに・・・。
断酒のシーズンなんです。
人によっては、それが1時間の人もいれば、1日の人もいれば、3日の人もいれば、1週間の人もいれば、1ヶ月の人もいれば、1年の人もいれば、10年の人もいれば、50年くらいの人もいます。
50年くらいの人はおそらく死ぬまでね。やったね。
でも、期間はどれくらいであったとしても、結局は、断酒中なんです。
そうじゃないかもしれないけれど、そうだと思ったほうがこの病気のことをよく理解できます。
『アルコール依存症の完治は基本的に断酒し続けること』と言われているように、断酒って彼らにとって一生の課題なんです。
だって、『依存』症なんです。
やっぱり飲んでしまう、依存してしまうっていうのが彼らであって、それを克服するってことは、断酒し続けることしかないんですね。
一部の人は、元依存症だったけれど、今は適度にお酒を飲みながら、上手にお酒と付き合っている・・・とか言って、依存症だったのに「うまくやっている」人もいます。はっきり言って、すごいです。
が、Nouti的には、「うまくやっている」の意味は、ただ「飲んで、また断酒をしている」・・・っていう解釈で、断酒に切り替えるプロセスをちゃんとうまく確立しているんだと思います。
結局は断酒あっての、回復なんですね。
で、話を元に戻すと、長さは人によってまちまちだけれど、「断酒中」は依存症なら絶対に起きます。
フツーに断酒するんです。
って書くと、えっ!?うちの夫、毎日毎日、朝から晩まで連続飲酒しているとか、断酒の「だん」の字もない!!!!とか思う人もいるかもしれませんが、それって、結局、家族側の希望の長さに満たないから、そう思っているんです。
つまり、さっきの話だと、家族側の希望の断酒期間は、50年だとして、彼らが実行しているのは1時間みたいな。
当然、
「断酒!?はっ!断酒ちゃうやん。💢」
ってなるわけです。
(その前に、家族側の希望の断酒期間ってなんやねんって話ですが。)
でもね、幸せになりたくない人がいないように、依存症の病気の人も、やめられるもんなら本当にやめたいんですよ。
↑これ前提。
彼らは好きで飲んでる・・・って思うでしょう。
そう、好きで飲んでるの。正解。
でも、
好きで飲んでる自分を『好き』か?
ってなるとまた違うの。
アルコール依存症の人って、間違いなく自分の中に負の感情抱いているから。
寂しいとか、惨めとか、辛いとか怖いとか情けないとか恥ずかしいとか、不安とか・・・。
でも幸せになりたいんよ。本音は。こんな負の感情が嫌だったから酒飲み始めたけれど、そしたら、今度は依存症になっちゃって、離れられなくなっちゃって、色々もっと大きな問題になっちゃって、っていうか酒やめてーよ、やめられないよーって嘆いているの。(Noutiなりの彼らの代弁。)
だから、本音は、「こんな状態から抜け出したい!!」って気持ちがどこかしらにいつも持ってて、彼らは彼らなりに、時間は超〜短くても、断酒を繰り返しているのね。
この考えを前提に持つと、もう少し長い目で家族を見られるようになる。
だから、最初の話に戻すと、家族が「断酒中」と思った時、実は本人の感覚とめちゃくちゃズレている時も多い。
っいうか、多分ズレている。
しかも、結構、ズレている。
本人にしたら、いつも「断酒」したいと思っていたり、いつも「やめられるもんならやめてーわ!」って葛藤し続けているのに、家族は目に見える断酒が起きた時だけ、「ようやく断酒が始まった!」みたいに思っちゃているから。
だから、「さあ、あなた断酒し始めたのだから、はい50年飲まないでね。」みたいな・・・口では言わないけれど、そういう態度が出てる。
これってね、アルコール依存症者にとっては、ちょっと軽くジャンプできるようになったからって、「はい、跳び箱100段お願いね!」みたいに言われているような感じ。
それって、アルコール依存症者にとっては、
ちょー無理なの。
ちょープレッシャーなの。
もう何!!!!!!!
いきなり何!!!!!!!
どんだけ要求高いの!!!!!!!!
できるわけないじゃーーーん!!!!!
ってなる。
ならない人は、
「んなもん、できるわけないだろ!バカやろう💢💢💢」
とかキレだすバージョンもある。
まあ、それは人それぞれ。
で、どっちんしろ、心折れるわけよ。
家族側からの要求高すぎて・・・。
100段に冷めるの・・・。「あ〜無理・・・」ってね。
そうなると、小さくジャンプしていたことすらもうやめるのね。「どうせ、俺、無理・・・」ってね。
で、座り込むの。つまりアルコール復活ね。
だから、家族は、
えー!!!なんで!!!!
ジャンプし始めたのに、なんで!!!
なんでーーーーーーーーーーーーー!!!
とかなって、離婚だとか別居だとか、クズだとか、わめき始める感じ。
以前のNoutiみたいなヒステリックタイプだとマジでわめき始めるだろうし、そうじゃないタイプは、内側に悶々と不満を抱え始める。
涙。
まあ、どちらしても最悪。
じゃあ、どうすればいいの?って言ったら、アルコール依存症がジャンプし始めたら、(つまり、いつもとは少し違う様子をみ始めたら、)
「あ〜ジャンプし始めたんだな。」
って、
見守る。
見守る。
見守る。
以上。
で、家族はお母さんでもお父さんでもないから、跳び箱一段も準備しなくていい。
「跳べたね〜じゃあ、今度はこれに挑戦してみようか?」とか、要らない要らない、そんな提案。
本当に要らない。
本人、跳び箱のある場所ちゃんと知ってるから。
精神科の存在も知ってるから、AAも知ってるから、信仰持っている人だったら神様も知ってるから。
「えっ!?うちの夫、そういうの多分知らない」と思うなら、大丈夫、携帯使えるから。本気になったら、自分で調べ始めるから。携帯使えないなら、助け求め始めるから。
ちゃんと、自分で跳び箱を探す旅に出始めるから。
だから、余計な用意不要。
じゃあ、家族は何をやるの?
「あ〜ジャンプし始めたんだな〜」って思いながら、自分の人生を進める。
自分の人生ね。
やりたいことやるの。我慢してたことやるの。目標があるなら、それに向かって動くの。ジムに行って綺麗になりたいなら行くの。資格とりたいならとるの。
とにかく、
自分の人生を進める。
で、もう一つ・・・。
自分の人生進めながら、見守っている時の家族の心構えってすごい重要。
「あ〜ジャンプし始めたのね!」って上から目線で、
「さあ〜どこまで跳べるかなあ?」
みたいなちょっと興味津々、まるで実験台のモルモット見るかのような態度・・・。
やめてやめてー。
プレッシャーなの。重いの。
もうね、家族の頭の中は、10段超えて、50段超えて、100段にどんどん向かってるの。
やめてやめてー。
重い。
っていうか、本当、愛がないよね。
でも、だからと言って、「あなたジャンプし始めたのね。さあ、踏み台を買いましょう。さあ、ウイダー飲んで、力つけて。さあ、こんなユニフォームで跳ぶと跳びやすいよ。お茶はいつでも用意しているから。」
・・・
もうね、息子大好きな母になってる。
これもやめて。
重いから。
そうじゃなくて、「あ〜跳び始めたんだね。」って心で思って、ただただ、
「すごいな〜」
って思うの。それだけ。
😍
それが1日だけだろうが、2日だけだろうが・・・その先のことはどうでもよくて、
「今、あなたが跳び始めた。っていうか跳ぼうと思った・・・そのことがもうめちゃくちゃすごい。すごすぎる!」
っていう態度。
😍
「すごい!」って別に言っていいと思うし、本当にすごいと感じるの。
そのためには、あなた自身が、
「実はそれがすごいことだ」
って分かってないといけない。
もし「すごい!」って全然思えないし、分からないなら、すごいストレートに言うけれど、多分、
あなたはもっとこのアルコール依存症という病気を理解した方がいい。
リアルに勉強不足だと思う。依存症ってことをまずわかってないかも。
中毒手っ取り早く知るなら、ドラエモンのこのエピソードがいいかも。
そんなバカみたいに、「すごい!」って思えないし、思いたくないなら、別に離婚したっていいし、勘当したっていいし、それはもちろん自由。
でも、そういう相手を裁いたり、これが正しい、あれが間違っている生き方って・・・正直辛いよね。どこか苦しい。
だから、勉強・・・と言うか、この病気のこと知る、理解する、そして自分を知ることは、Nouti的にはすごく大切だと思う。
話をまたまた元に戻すと、アルコール依存症者が跳び始めたら、「すごい!」と思うということ。1時間が10時間になってもすごいし、1日が2日になってもすごい。
1年、2年、20年、生涯の断酒が成功した人もいっぱいいるけれど、そういう人も小さな一歩、小さなジャンプから始まったんだから。
どんな人にも『1日目』があったんだから。
その『1日目』が何回も何回も繰り返しあるかもしれないけれど、でも、
『1日目』が出てきたことは本当にすごい!
こと。
誰にとって。
アルコール依存症者にとって。
「断酒」なんてことは一生ないから。一生「断酒中」なだけだから。
あとね、絶対に死ぬから。限られた期間でもがいているから。
その期間の中で「跳び上がろう」とした時、人が立ち上がろうとする、その小さな1歩の「すごさ」をちゃんと受け入れよう。
励まされようよ。そして自分の人生もますます加速させよう。