アルコール依存症:Noutiブログ

脱アルコール依存症の病気:のうてぃ思考のNoutiブログ

今日1日だけ、依存症者の領域に踏み込まないこと!元アルコール依存妻のうてぃが、依存から自立へライフチェンジを目指す日々。自立して生きることを始めよう。Think Simple。

心の中で応援するということ

こんにちは。noutiです。

8月も2週目になりました。もう来月は9月ですね。9月にはいると、一気に、今年も後半に入ったなという感じがします。暑い夏も懐かしくなるくらい、あっという間に秋、冬に向かっていくので、今日の1日を大切に過ごしていきます。

なんだか、こうやって並べると、今回のタイトル「心」ばっかりですね。でも、そうなんです。態度に表さず、行動をせず、言葉に表さず、「心」の中だけに留めておくこと・・・。これが必要な場面は実は沢山あるんです。

いつも通りにそして、ただただ心の中で応援すること

前回の記事で、「お酒やめる」と言ってきたら?について書きましたが、今回も、回復への過程について書きたいと思います。

 

「お酒をやめる」行動をアルコール依存症者がし始めた時、家族側はいつも以上に、かなりいつも通りに過ごすように心がけます。

 

この時期は、ほんのちょっとした刺激が誘惑になります。少しでもお酒の匂いがしたら、一瞬で脳はアルコールを欲します。「アルコール」という言葉がアルコールを連想させます。

 

本人はかなりギリギリのところで戦っています。肯定的な刺激も、否定的な刺激もNGです。それこそ、本人が話しかけてこない限り、「アルコール」に対する会話を一切タブーにすることです。「アルコール」という単語すら出しません。

 

相手は、断酒しているけれど、家族側はそのことを喜びもせず、もちろん監視もしない・・・という姿勢を貫きます。

 

離脱症状が激しくて、手がブルブル震え出しても、無視です。本人が何も言ってこない限り、アルコールに関わる結果で起きるありとあらゆることを無視し、刺激物を与えないようにします。そして本人がたとえ何か言ってきても、意見を求められていない場合は、ただ「そうだね、そうだね」と言うだけで、離脱症状や断酒計画に関するあらゆる提案、意見をやめます。

 

家族側はただただ心の中で、全力で応援します。

 

これ、常識と真逆です。応援は声に出して、行動に出さないと伝わらないじゃないか・・・思ってしまいますが、アルコール依存症者の場合は、応援そのものが、アルコールを「めちゃくちゃ意識」していることと等しくなり、そうやって家族側が、アルコールを「めちゃくちゃ意識」することが、結果的に本人にもアルコールを思い出さざるをえない状況になってしまいます。

 

本人は絶えず、誘惑に晒されています。だから、励まし、応援、褒める・・・などと言った全ての肯定的なこと(普通だったら、聞いたら人が喜ぶようなこと)もアルコール依存症者に対してはNGです。家族側の自己満足なだけで、アルコール依存症者にとっていいことは一つもありません。

 

アルコールに対する無力を認め、思いは心の中だけに

この病気に対処する一番の方法は、この病気に対して、全くの無力を認めるということを"認める"まで、私は随分と時間がかかりました。

 

本当に、バカみたいに遠回りをして、お酒を飲む夫に怒りながら、飲むきっかけを自ら作り出していました。

 

「私の声かけが少しでも力になるんじゃないか・・・」などと本気で思っていました。お節介でした。うっとうしい妻でした。イタイ妻でした。何かをしないと、変わらないと、真面目に思っていました。

 

それが全部、この病気を悪化させ、本人への過剰なコントロールと刺激になり、アルコール依存症からなかなか離脱できない状況を作り出してしまっていました。(普通の常識が通用しない病気ということに、私は長い間気づかなかったのです。)

 

お酒をやめるというのは、家族にとって、確かにこの上なく嬉しいことです。夫は今お酒を飲んでいないから、私もこの上なく嬉しく「心の中」で思っています。

 

でも・・・。

 

喜びを態度に現しません。嬉しいとも言いません。すごいねとも褒めません。お酒の代わりに何飲む?とも提案もしません。

 

いつも通り変わらず、そして、本当は心の中で「嬉しい」からこそ、刺激にならないようになることだけを意識しています。

 

時たま、夫が違う部屋にこもると、ドキッとして、もしかしてまた再飲酒しているのかもっと思って、覗きたくなることもありますが、その衝動を必死でこらえています。

 

これはもう理性です。理性でこらえています。

 

そうして、耐えた後に、実はただのトイレだったとわかると、「心の中で」とっても感謝な気持ちになります。なぜなら、私自身も、再び夫をアルコール依存症者のように見て、アルコールをチェックしたくなる誘惑に勝ったからです。

 

アルコールを飲んでいようがいまいが、「アルコールの誘惑」は断酒をし始めた時はそこらじゅうにウロウロしています。目に見えないだけで、今もここに存在していると思った方がいいです。空気みたいに存在しています。

 

そして、アルコール依存症者だけじゃなく、家族側も絶対に誘惑にのらないように、冷静で、落ち着いて、監視をせず、本人の尊厳を守ることに集中します。

 

この時期、家族側は自分のことで忙しくした方がいいかもしれません。

暇があると、ついつい監視したり、チェックしたり、相手のことが気になったりして、そういう態度は、本気で断酒しようとしている人にとっては害でしかないからこそ、自分のことに集中できる時間を沢山作るといいです。

 

私もできる限り忙しくしています。身体的にも疲労して、毎日大きな睡魔が襲ってくるくらい1日を頑張るようにしています。そうすると、ぐちゃぐちゃと悩んでいるよりも、さっさと寝たいという気持ちが勝るからです。

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回復を心から信じること

アルコール依存症者との地獄のような日々は、確かに長かったかもしれませんが、回復の日々も長期戦です。

 

やめると言ったその日から奇跡が起きる人もいるかもしれませんが、起きない人もいます。

 

ただ、どちらにしても、回復していることには間違いありません。たとえスリップ(再飲酒)してもです。

 

再飲酒の事実があっても、本人が断酒をトライしようとしたこと、そして、あることがきっかけになってしまって再飲酒につながったことも本人はちゃんと分かっています。それが、また本人にとって、この病気と向き合うための活きた経験になるんです。だからそっと見守ってあげます。期待があったからこそ、家族側は再飲酒をきっかけに必要以上に落ち込んで、絶望していちゃいけません。

 

遠回りしているように見えて、同じところに留まっているように見えても、本人の回復を心から信じて、忍耐すること、そして、同時にこの病気を通じて、家族側もいかに人をコントロールしてきたかを知り、自分自身のより良い生き方のために、学びを深め、実践を深めていくことが大切です。

 

人間には、基本的に回復に向かう、治っていく力があります。

 

今どんな暗闇でも、全く光が見えなくても、人生のどん底でも、絶望でも、自殺したくなっても、諦めないでください。

 

そして、私もこのブログでこれまでの経験や私の愚かさから得たことを発信し続けていきます。

 

一人でも多くのアルコール依存症で苦しんでいる大切な家族が断酒に成功することを心から祈って。

 

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